近づけばおぼろげに揺れる

君と見たいスペクタクル

血の色の君

以下の文章は、こちらに掲載したものです。

記録として、このブログに移設します。

 

「もうすべて、すべてに君が息づいて そもそも赤は血の色でした」

とある方が書かれたジャニーズ短歌。「君」が指すのは、櫻井翔

私はこの歌を見たとき、電流が走るような衝撃を受けた。私がまさに感じ、苦しんでいた彼への気持ちがすとんと腑に落ちる表現だった。

赤は血の色。したことはないが、もし私が手首を切ればそこには彼の色があらわれる。私がこれから誰を好きになろうとも、私のからだには彼の精神が棲みついている…というと気持ち悪いか。私が好きになり、解釈し、形成した"翔くん"。彼なら何を選択するか、どう考えるか、どう表現するか。小学生から高校生にかけての多感な時期に、彼の生き方、考え方、言葉の選び方を一身に浴びて解釈して育った私は、彼に大きく影響を受けて人格を形成したと言っても過言ではない。というかその通りだと思う。

だから、彼は"血"なのだ。私の生き方、考え方、言葉の選び方。手首にナイフをあてるように、それらを切ってみればすぐに彼があらわれる。

はじめて「翔くんがすき。頭が良いから。」と口にしたのは小学生の頃だった。彼がそうだったから、本をもっと読みたいと思った。大人の新聞にだって目を通したし、ニュースもよく見ていた。レベルの高い周囲と競い合う楽しさを知った。勉強のおもしろさに気付いた。常に上を上を、目指したいと思った。親から大きな期待を背負って競争社会で戦っていた私の救いになってくれたのは、同じく小学生のときから競争社会に放り込まれたと話していた翔くんだった。

はじめて誰かに心酔して、その楽しさと苦しさを知ったのは中学生の頃だった。初恋は翔くんだったんだと思う、恥ずかしいけどやっぱりきっと。あんなに頑張って入学した学校の同級生は、自分とは住む世界が違う人ばかり。地元にも学校にも居場所がなくて宙ぶらりんになっていた私の救いになってくれたのは、同じく地元と学校、学校とジャニーズとの間で宙ぶらりんになっていたと話していた翔くんだった。

はじめて人生における大きな決断をしたのも、「担降り」をしたのも高校生の頃だった。私は高校1年の終わりに彼の担当を降りた。今から考えたら大したことない出来事なのに、さーっと熱が冷めてしまった。若気の至りだ。担降りしてもなお、彼が私の中から消えることはもちろんなかった。だって、彼は私の"血"だから。私は高1のときからずっと、経済経営系統の学部だけを視野に入れていた。理由は、言うまでもない。そして私は、周囲の反対を押しきって経済学部に入学する。反対されると見返したくなる天邪鬼さ、それに説得力をもたせてやるという反骨精神、周りがやっていることと同じことはしたくない負けず嫌いさ、選択するときにより困難なほうを選ぶ貪欲さ、すべてすべて、誰かさんから影響を受けた私の性格だ。

小さい頃から文章を書くことが好きだった。それを褒めてもらえる機会も多かった。図書館の広い学校に行きたくて中学受験をして、国語に力を入れている学校に入学した。文章だけは、私の唯一といってもいい武器であり私の矜持。そんな私は、彼の、すべてが彼の意図のもとで発される言葉が、文章が、大好きだった。いや過去形ではないな、今も大好きだ。美しくて読みやすいのにちょっとくだけていて、飾らない。彼みたいに、ユーモアを交えつつしっかりと堅くて、でも綺麗事ではなくて本音はそのままの温度で届けるような文章を書く人でありたい。何か思うところがあったときに、彼のように強気でいられるようになりたい。ロジカルな思考の仕方や論の展開を覚えていったのも、彼みたいに"言い返せる人"になりたかったからだ。私が音楽を聴くときに圧倒的に「詞」重視なのは、彼が「詞」で曲を聴く人であり、自らが書く「詞」にすべての想いを込める人だったからだ。

 


突然なんでこんな文章を書き出したかといえば、9月15日のオトノハに激しく心が揺さぶられたからだ。

翔くんはずるい、ほんとうにずるい。彼は特定のファンへのファンサなどはしないけど、ときどきとんでもない爆弾を落とす。それに、客席のファンひとりひとりをよく見ている。客席にあんな人がいた、こんな人がいたって話をするのは大抵彼だ。このオトノハにもそんな櫻井翔が詰まっていた。せっかくおしゃれして来てくれたのにレインコート着せることになっちゃってごめんね、文字起こしってあんなに大変なんだね。嗚呼、どこまでもずるい、でもどこまでも翔くんだ。

翔くんはずるい、ほんとうにずるい。彼は自分の夢を大きく掲げて言葉にすることでそれを叶えてきた。彼の言葉には神が宿っていると、私は本気で思っている。そんな彼は、活動休止後の夢については語ってこなかった。彼にとっては"嵐"が夢そのものであって、"この夢が1日でも長く覚めないように"と言っていた彼の願いは叶わなかったけれど、その"夢"の一旦のゴールテープを切ること、ただそれだけを見ているように見えた。そんな彼が休止後はじめて口にした夢が、自らが関わった東京大会を見て記者や伝える仕事を選んだ人に取材現場で声をかけてもらって、東京大会の話で会話に花を咲かせること。またそんなことを言って、ひとの人生をいとも容易く変えてしまうんだから翔くんはほんとうにずるい人だ。私は今大学3年生、就活生だ。数ヶ月前に参加した志望順位の高いとある企業で言われたのは、「この仕事では、"伝える"ではなく"伝わる"言葉を選ぶ必要がある」こと。奇しくも私は、「伝える仕事」を目指して動いている。このタイミングで。しかもそんなピンポイントな仕事を指名して。自らの夢を提示することで、たくさんの私と同じようなファンにも新しい夢を与えて、またとある人には「努力次第で翔くんと関われるかも」という夢を見せて。ほんとうにほんとうにずるい人だ。もうアイドルではないのにね、最高のアイドルだねって言いたくなってしまうことを許してほしい。

私は今違うアイドルにめいっぱい幸せにしてもらっていて、毎日が楽しい。9月に入るまで、年末年始私を苦しめていた嵐ロスもすっかり忘れて…というとそこまでではないんだけどそのほかのことで頭がいっぱいだったし、思い出す頻度も低くなっていた。それなのに、ときどきこちらが忘れないようにふっとあらわれて、ちょっとした言葉でこちらの心を掻っ攫って、ひとの人生を良い意味でめちゃくちゃにしてかき乱して去っていくんだ。そんなことされたら、誰もあなたのことを忘れるなんてできないよ、ひどいよ、と思う。この歳になるともう、他の誰のどんな言葉を受けてもブレない自分の"軸"がある程度あるけれど、彼の言葉だけは別物なのだ。私にとってその"軸"をつくってきたのは彼の生き方なのだから。

私の人生における大事な決断や選択にはいつも彼の存在がある。私の思考を分解すればいつも彼の言葉がある。これは彼に影響を受けすぎて育ってしまった私にかかった呪いでもあり、しあわせなギフトでもあるのだと思う。