近づけばおぼろげに揺れる

君と見たいスペクタクル

「アシタを忘れないで」とかいうヤバ舞台の記録

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お久しぶりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

そしてこの感想まとめブログは一体何ヶ月寝かせていたのでしょうか。もう千穐楽から半年(!)経ったというのに。まあいろいろあったんですね。

半年経った今なぜ急にこの舞台の回顧ブログをしたためようと思ったかといえば、それはもうきっかけは楽曲大賞でしかありません。

JUMP担、とりわけ有岡担が毎年コメントで大暴れすることでおなじみの楽曲大賞。今年は我らが有岡大貴の初主演・企画・プロデュース舞台「アシタを忘れないで」が現場部門24位に入賞したということで、こちらの天才採用コメントともども気になってしまった方もいらっしゃるでしょう。

そんなときにスッと差し出せるブログを書きたい、ずっと書く書く詐欺をしていた私もいよいよこの舞台の記憶と真剣に向き合う必要がある。そう思って半年越しに筆を起こした次第です。

ネタバレ禁止の舞台であったことももちろんですが、いざもう感想が言えるという状況になってもなお140字では到底伝えきれないこの舞台の「ヤバさ」に、観劇した人はみなさん歯痒さを感じていたはずです。そしてそんな観劇勢の呻きのようなツイートを見て疑問に感じていた他担の方や今回観劇が難しかったみなさんもいらっしゃるでしょう。長くなりますが、すべて読んでいただいた暁にはきっと、参戦済有岡担がなぜ事あるごとに「アシタくん...」と発作を起こすのか、なぜみんな揃いも揃ってあの夏有岡大貴への感情を拗らせていたのか、そして有岡大貴というアイドルの恐ろしさを身に染みて感じていただけるのではないかと思います。毎度のことながら、前置きから長くてすみません。

 

1. ものがたり

レンタルムービーショップで働く曇竹アシタ(有岡大貴)は、このところ妙に心に穴が開いたようにぼーっとしてしまうことが多い。ある日、常連客の千住さん(佐野岳)が映画「クレイジーピザキャンプ」シリーズについて尋ねた際に1と3のストーリーは覚えているのに「クレイジーピザキャンプ2」のストーリーだけが全く思い出せないアシタ。気持ち悪く感じつつも、「よかったら、僕のSNSも見てみてください!結構おすすめのムービーとかつぶやいてるんで」と千住さんに自分のSNSを教えるアシタ。

こんな平凡な毎日が、ずっと続くと思っていた。僕はまだ、このとき気付いていない。これから始まる、夏のちょっとした大冒険のことを。(アシタのモノローグより)

(ちなみにこのセリフのあと、壮大なOPがある。アシタくん、いやこのときだけは有岡大貴がプロジェクションマッピングを操って舞台を縦横無尽に駆け巡って踊る。観劇した伊野尾くんが「かわいらしかった」と言っていた「アイドルシーン」はここ。詳しくは後述します)

アシタは昔から日記をつけているが、1年前から遡って2年間、日記をつけていなかった。その理由はアシタ自身もよくわかっていない...と語られる中、家の中にあった栄養ドリンクに「ヒント3」と書かれているのを見つけるアシタ。彼は数日前に「読めば元気が出る本」に「ヒント1」と書かれているのを見つけたところだったため、この奇妙な現象を不思議に思いつつもヒント2と問題を探す。栄養ドリンクと啓発本の共通点は「元気のないときに手にするもの」であることに気付いたアシタはそれをヒントに家中を探すが、そう簡単には見つからず現実から逃避しようとしてベッドに寝転がる。すると天井に問題のようなものが。「元気のないおまえへ」そう書かれたメモにはドリンク、本、そしてもうひとつ丸い物体の絵が描かれていた。「うちにあって丸いもの...ムービーディスクだ!」アシタがいつも元気がないときに観るのは「クレイジーピザキャンプ3」。それが、まさしくヒント2だったのだ。

ヒントをすべて揃えたはいいがどうこの謎を解いたらいいのか見当もつかないアシタは、困ったときのSNSだとこうツイートする(厳密にはTwitterとは一言も言っていないが、この舞台の劇中・専用アプリにおける「SNS」はどう見てもTwitterなので便宜上以下Twitterと呼ぶ。ちなみにアシタくんがこのツイートを送信したときに鳴る「シュッポッ」の効果音はあれ確実にTL更新のときに鳴るやつ。)

フォロワーのみなさまへ 日常生活を送っていたら、突然謎とヒントが出現しました。わかる人いますか?DM待ってます(メモの画像を貼付)

観客は事前にこの舞台の専用アプリをインストールし、劇場内で「本名フルネームと誕生日」を入力した上でログイン済である。このアプリには「設定」「SNS」「映画レビュー」などスマホを模したアプリケーションがいくつか入っており、謎解きのシンキングタイム中は個人のスマホ操作が許可されていて好きなアプリ内アプリを閲覧できる。

観客はまずここで「SNS (Twitter)」を開き、検索欄に先ほどアシタくんが千住さんに教えていたID (Tomorrowboy)を入力し、アシタくんのTwitterアカウントを探す。

ここですごいのは、見逃した人のために回想を模した形で舞台上で再度該当部分が演じられるのである。(このあとのシンキングタイムでも、その謎解きのヒントとなっていた部分が同じように演じられる)なんという親切設計。この章では全体の流れを説明するために一度割愛しているが、我々観客と同じように謎を解いてアシタを助けようとするアシタの飼い猫・ケケ(羽村仁成)とその「友達」でありケケの謎解きの手助けをする謎の男(大東立樹)との会話がありとあらゆる理由でアシタが席を外す度に展開されている。毎回このシーンでの謎の男の「さあ、シンキングタイムだ」のセリフを合図にスマホの操作が解禁され、観客は謎解きを始める。ちなみにこの1つ目の謎解きの際は上のツイートをしたあとにアシタがお風呂に入りに行く。このあとの物語で例外的に一度だけアシタくんが舞台上に「いる」シンキングタイムがあるが、基本的にシンキングタイム中はアシタくんこと主演の有岡大貴が舞台上にいないため、自担の一挙手一投足を見逃したくない有岡担も謎解きに集中できるこれまた親切設計である。

話を戻そう。

この第1問では、ヒント1(自己啓発本)、ヒント2(クレイジーピザキャンプ3)、ヒント3(栄養ドリンク)、それぞれのモノに書かれているタイトルなどの文字のうち、1アイテムにつき幾つかの文字が矢印で指し示されている。それぞれの矢印の先にある文字は、ヒント1(こうえん)ヒント2(のべ)ヒント3(んち)であった。よって、答えは「公園のベンチ」。正解に辿り着いた観客は、この答えをアシタくんにDMで送る。ちなみにこのあとアシタくんから返信も来る

謎の答えが「公園のベンチ」であることを知ったアシタは翌日の仕事中も気になって仕方がなく、「見に行きたい映画がある」と嘘をついて大海原店長(福田転球)に早退を申し出る。大海原店長は大海原店長で「元嫁の子ども」が遊びに来るのだと言い、寝不足なるねんとかめんどくさいだけやとか言いつつとっても嬉しそうな店長に絡まれてなかなか難儀しつつも無事早退を決行。「公園といえばここだから」近所の公園に足を運び、ベンチに向かう。何か答えが見つかるのではないかとベンチを探ると、なんとベンチが開いてその中にこう書かれたプレートのようなものが。

「おまえさえ消えれば」

意味不明かつおそろしい文面を前に苛立ちさえ覚えるアシタだが、最初の3つのヒントと同様にこの文字も「俺の字っぽいんだよなあ」とさらに怪訝に思う。怒りにまかせてこの物体を触っていたら蓋がとれ、これは入れ物であったことと中にUSBメモリが入っていることを発見する。「ガチの謎じゃん。ミッションノットインポッシブルみたい!」とわくわくしながらUSBを開くとそこには...謎の数字が書かれた画像が1枚だけ。気が抜けたアシタはお酒が入っていたこともあり、謎を解こうとしたその瞬間爆睡してしまう。ここで再びケケと謎の男が登場して2回目のシンキングタイム。

この画像の数字(20261215)を日付と見てアシタくんのツイッターを参照すると、このツイートが見つかる。

これをすべてひらがなに直すと、

もーなけたーこのくだり しがあうよ←

「おまえ(=曇竹アシタ)さえ消えれば」という蓋に書かれた内容から推理して、このツイートの文章から「くもりだけあした」を文字通り「消す」。すると、

(も)ーな(け)(た)ーこの(く)(だ)(り) (し)が(あ)うよ←

のカッコ部分が消えることになる。カッコ部分を消した上で、矢印の方向に読むと、

ようがのこーなー

となり、答えは「洋画のコーナー」。

翌日、仕事中に昨日「親切なフォロワーさん」から送られてきた答えが気になり、働くレンタルムービーショップの洋画のコーナーを不自然なほどに探す。その真っ最中に店長に見つかってしまったアシタは慌てて取り繕おうとするが、店長に「あんま悲しませんといてな。アシタくん、俺は君のことを家族同然やと思ってる。ムービーを一生懸命お客さんに勧めてる君が、息子のように愛おしいねん。まあ話せない事情があるなら仕方ないけど、何か相談したいならいつでもしてな。とりあえず今日もまた早退したいんやろ?ええよ。」と言われたことで自らを省みる。

僕は、自分の日常をつまらない毎日だと思っていた。でも、身近な人と最低限のコミュニケーションしか取らず、自分の毎日を退屈にしていたのは僕自身だった。店長がこんなにいい人だということも知らずにいた。

アシタは思い切って、ここ最近起きている不思議な現象を店長に話した。店長はアシタの想定以上に面白がってくれ、そのあまりのテンションの高さにアシタは一瞬話したことを後悔するものの、その温かさに甘えてまた早退させてもらうのであった。

店長に見つかったときに気が動転して落としたムービーディスクの中にまたメモがあった。「公園のベンチの下の下」。それをヒントにアシタが公園のベンチの下を掘ると、出てきた箱の中にはアシタと、その隣に恋人同士のように親密に身を寄せる人のツーショットが入っていた。全く身に覚えのないアシタはショックを受けて大声で叫んでしまい、この近所に住んでいるという千住さんがまた現れる。(割愛しているが、先ほど公園のベンチで「おまえさえ消えれば」の箱を見つけたときもアシタは千住さんに遭遇しており、そのまま飲みに行っている。)

「写真...ですか...?」そう尋ねた千住さんの顔はとても曇っており、写真を凝視している。そんな千住さんの様子を不思議に思いつつも、アシタはこの写真で自分の隣に写っている人のことを何も知らないのだと彼に話す。

千住さん「曇竹さんもしかしたら疲れてるのかもしれない。あまり深く考えないほうがいいですよ。」

アシタくん「考えちゃいますよ。だって、この写真の僕が着てる服、今めっちゃだるんだるんになって部屋着にしてるやつなんです。だからこれ昔のことなんですよ。なのに僕どういうことか何も知らないんです。」

千住さん「曇竹さん覚えてないことを無理に思い出さないほうがいい。」

アシタくん「でも!」

千住さん「覚えてないってことは!それだけつらい過去だったんです。トラウマになるくらいつらい過去だったんです。ろくなやつじゃないんですよこの人は!…ごめんなさい曇竹さん、私は、今のあなたしか知らないけど、今のあなたを守りたいんです。」

千住さんは、「そういう写真を部屋に置いておいてもいいことなんてない」と言ってその写真を自分に預けることを提案する。アシタは躊躇うが、「きちんと保管しておく」という彼の言葉が信用できたこと、自分が全く知らない人と恋人同士のように並んで写っている写真を見るのは相当ショックなことであり到底ひとりで受け止められるものではなかったためありがたく思ったことから千住さんにこの写真を渡す。

帰宅したアシタがいつものようにツイッターを開くと、あるWeb CM(プロモーションツイート)が流れてくる。それは記憶消去サービス「メモリーホワイトニング」の広告だった。それを見たアシタは「たぶん、俺これやってるな」と呟きさっそく問い合わせてみるものの、個人情報保護の観点から自分が過去にサービスを利用したことがあるかは教えてもらえなかった。メモリーホワイトニングのHPからログインすると過去のサービス利用履歴が見られると電話口で聞いたアシタは当該HPにアクセスしてみるが、当然ながらパスワードがわからない。

おそらく自分は恋人に振られ、それがつらくてメモリーホワイトニングしたものの未練があって自分に謎を仕掛けたのだろう。とアシタは推測し、自分のあまりにもの甲斐性のなさにため息をつく。項垂れるアシタはツーショット写真が入っていた箱の内側に文字が書いてあるのを見つける。「おまえの畳み方ともうひとりの畳み方」頭にはてなを浮かべるアシタのもとに、飼い猫のケケがTシャツをくわえてやってくる。「でかしたぞケケ!畳むってこのTシャツのことだな!」いやそれはそうだろアシタくん。

「アシタ、もうここまできたら...」そう何かを訴えようとするケケだが、アシタにはそれが「ニャー」としか聞こえない。「何?おなかすいたのか?わかったよ、ご褒美に、おやつ買ってきてやるよ!」とコンビニに出かけるアシタをよそに、「やっぱり何もわかってない...」とため息をつくケケ。そこに謎の男がまたやってきて、3回目のシンキングタイム。

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観客には事前にこのようなTシャツを模した用紙が配られており、それを片手にまたアシタくんのツイッターを遡ってヒントを探す。すると、このようなツイートがある。(※画像はイメージを元にした再現です)

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「おまえの畳み方ともうひとりの畳み方」。アシタくんの畳み方は四つ折りで、もうひとりの畳み方はアパレルのような丁寧な畳み方。このふたつの折り方でこの用紙を折ってみると、前者では「天」後者では「井」の文字が現れる。よって、答えは「天井」。

コンビニから帰ってきたアシタはもうDMの返信が来ていることに驚き、天井を見るとそこが開くことに気付く。「うわー、まじかよこの人。神じゃん。やっぱりこの人のこと"神"って呼ぼう。」開いた天井から出てきたのはアシタがつけていなかったと思っていた2年間の日記だった。これがゴールかと喜んだのも束の間、この日記には鍵がかかっていてどうにも暗証番号がわからない。そこには「Birthday」と書かれていたので自分の誕生日を入れてみるアシタだが...鍵は開かない。あの写真の人、「もうひとり」の人の誕生日なのだろうと推測はできても、「あの人」に関する記憶をすべて失っているアシタには見当もつかない。...とそのとき、はらりと1枚のメモが落ちる。おそらく日記に挟まっていたものだ。

「僕たちの出会いは、映画館だった。たまたま隣に座った君と僕の笑いのツボが全く一緒だった。」

このメモを撮った写真をアシタは「神」にDMで送る。そのときだった。

泥酔した店長から電話が来たアシタは、面倒なことに巻き込まれそうな予感から一度は断るものの、もう店長が家の前まで来ていることに気付いて電話を切り、部屋に渋々迎え入れる。店長は元嫁が再婚し、娘に新しいパパができることを知ってやけ酒をしていたのだった。一緒に飲んでくれと言われたアシタはまた渋々応じるが、ケケが近付いてきたことで猫アレルギーの店長は発作が止まらなくなり、仕方なくアシタは店長を介抱しながら外に飲みに行く。

また舞台上からアシタが去ると同時に謎の男がケケに会いにきて、4回目のシンキングタイム。

観客のSNSアプリにもある「メモリーホワイトニング」のWeb CMからリンクにアクセスし、サイト上にある「パスワードを忘れた方へ」をタップ。すると、出てくる「秘密の質問」は「一番記憶に残っている映画は?」。この答えがわかればパスワードがわからずともログインすることができるのだ。

謎の男「『僕たちの出会いは、映画館だった。たまたま隣に座った君と僕の笑いのツボが全く一緒だった。』って言うくらいさ。きっとふたりが出会ったきっかけの映画こそ、一番記憶に残ってる映画のはずだ。」

ケケ「でもアシタがそれを忘れちゃってる...」

謎の男「それが最大のヒントなのさ。」

「忘れている」ことがヒント。..とここで再び舞台上で序盤のシーンの再現が行われる。千住さんに「クレイジーピザキャンプ」について質問されたアシタが、1と3のストーリーについては覚えているのに2にまつわることだけ全く思い出せないシーンだ。つまり、「クレイジーピザキャンプ2」こそがアシタくんと「あの人」が出会った思い出の映画であり、一番記憶に残っている映画。したがって、答えは「クレイジーピザキャンプ2」。

その答えを観客が入力すると、ログイン後の画面でこのようなカルテが現れる。ここに書かれている相手の名前は仮名で、実際はアプリログイン時に入力した自分の本名が記されている。(※画像はイメージを元にした再現です)

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これまで劇中で自担と何度もDMのやり取りをして、自担から「親切なフォロワーさん」「天才」「神」と呼ばれていただけでもキャパオーバーだった有岡担の心臓はここで一回爆発する。実際ここで会場めちゃくちゃざわ...ざわ...なってたし呻き声を堪えている人もいた。しかもクリスマスに記憶消しに行ってるんだ。

有岡担をはじめとする観客は心臓を抑えながら、えっつまり...?自担の元恋人が私で、「あの人」「もうひとりの人」「あの写真でアシタくんの隣に写っていた人」が私、ということは...?日記にかかった鍵の暗証番号は...?いやまさかね...とここに来ても未だ半信半疑のまま自分のリアル誕生日をアシタくんにDMで送ると、送信できちゃったよえっ送信できちゃった......このアプリのDM正答しか送信できない仕様になってるのにできちゃった........え.........やば...............と観客が心の中で2021年で一番の動揺をする中帰ってくるアシタくん。ツイッターを開き、「神」から本来知るはずのない元恋人の誕生日まで返信が来ているのを見たアシタはこう呟く。「…ちょっと待ってよ。これ、日記の鍵の番号?え、どうしてこの人にわかったんだろう。…開いた。なんで?」

いや「なんで?」って聞きたいのはこちらなんだよダイキ

鍵が開いた日記を捲るアシタは、

そこには、僕と恋人のかけがえのない日々が綴られていた。一緒にムービーを見たり、新しくできた食堂にふたりで行ったり、ケケを拾って一緒に飼い始めたり。その他多くの、一緒に笑ったことや、喧嘩したこと、そして、なぜ僕たちが今一緒にいないのか、その理由が書いてあった。俺、こんなに大切なことなのに、何も思い出せない。ケケ、おまえは知ってたんだね。ここに書かれてる人のこと。

そう苦しく、切ない声でつぶやき、でも無理にケケに笑いかけてみせた。

翌日、昨日は悪かったな、飲みすぎて記憶ないわ、と言う店長に自分がメモリーホワイトニングをしていたことを話すアシタ。巷で噂のメモリーホワイトニングの体験者が身近にいて興奮した店長はあれこれとアシタに質問するが、アシタは記憶を消しているため当然ながら何もわからない。「消したのはすごく大切な記憶で、だからその...」と言いかけるアシタに「みなまで言うな。今日は休みでええ」と言う店長。「アシタくん、後悔だけはしたらあかんで。」と背中を押され、アシタはメモリーホワイトニングコーポレーションへ向かう。着くと、アシタを迎え入れたのは千住さんだった。実はアシタとアシタの元恋人が記憶を消したときの担当者が千住さんであり、彼は「記憶消去後のクライアントのその後の生活に副作用が出ていないか見守る」という職務の一環で定期的にアシタの働くレンタルムービーショップを訪れていたのだった。

アシタを過去の記憶から守りきれなかったことを謝り、再度記憶を消すこともできると話す千住さんを制止するアシタ。「日記を読みました。僕の恋人が…まだ生きていた頃の日々を綴った日記です。」

アシタ「日記によると、突然告げられたお医者さんからの余命は半年でした。僕たちは本当に仲が良かったみたいです。料理の好みも、笑いのツボもぴったりで。恋人同士であり、親友みたいだったって。ずっとずっと一緒にいようねって約束したり、たまに喧嘩したり、ありふれた日常だけどそれが幸せだったって。なのに…何も思い出せないんです。あの人が僕のために提案してくれたって、日記には書いてました。あの人との記憶を消したほうがいいって、僕には前を向いてほしいからって。それで約束したんです。記憶を消すって。でも、僕は忘れたくなかったかな。わがまま言って、もし奇跡が起きたら、またあの人のことを思い出せるようにって、一緒に謎を仕掛けたんです。その作業が、とても楽しかった。って、日記には書いてました。感じたいです、あの人のこと。僕の記憶を戻してください。」

記憶を戻したいとアシタが言ってきてくれたことが嬉しい、と胸の内を吐露する千住さん。預かっていた写真をアシタに返し、とても素敵な方だったし亡くなった方のことを「ろくなやつじゃないんですよこの人は」とかいうのはつらかった、すみませんでした、と感情が昂らせたものの、やがて席を立つと「曇竹さん。この部屋は防音になっているので安心してください。ご自分のお部屋だと思って。」どういう意味だろうと困惑するアシタをよそに、ひとりにしてくれる千住さん...

ひとり椅子に座ったアシタは記憶を戻す処置を受けてすべての記憶を取り戻し、「私」とのツーショットを見て、胸に抱えて、嗚咽するほどにぼろぼろと泣くのだった。

「僕はすべてを思い出した。変な話だけど、君のことを想ってちゃんと泣けるのは、うれしかった。」

涙を流しながら客席を見据えてアシタはこう言うと、また切なく笑った。

謎の男「こんばんはケケ。その後ご主人様はどう?」

ケケ「たまに日記を見ながらわんわん泣いてるけど、それも含めて”生きてる”って感じだよ。」

謎の男「素晴らしいね。」

ケケ「ところで死神くん」

謎の男「なんで急に役職で呼ぶのさ。ここには仕事で来てるんじゃない。君の友達として来てるんだから。」

ケケ「僕のもうひとりのご主人様は、あの世で楽しくやっているの?」

謎の男「それは僕の知るところじゃないけど、こっちの世界で死ぬっていうことは向こうの世界で新たに生まれるっていうことだからね。僕だって、あっちでは天使って呼ばれてるんだから。」

ケケ「それじゃ、もうひとりのご主人様は向こうの世界で生きてるってことだね。」

謎の男「そういうこと。」

ケケ「たまにはこっちの世界のこと、思い出してくれてるかな。」

謎の男「それはないだろうね。人間は向こうの世界でオギャーと生まれた瞬間にこっちの記憶は全部消えちゃうんだ。」

ケケ「そんな...」

謎の男「でもわからないよ。こっちの世界にも、向こうの世界にも、奇跡はあるからね。」

ケケ「そういえば、アシタと一緒に謎を解いてくれた人がいたんだけど。アシタはその人がね、」

謎の男「その人が?」

ケケ「…まあいいや、今でもアカウントを探してるんだけど、全然見つからないんだって。」

謎の男「不思議だね。」

その後、辛くなる夜はあるものの前よりずっといきいきしているアシタ。ある日様子を尋ねに来た千住さんに「だから僕のことはもう心配しないでください」と言うアシタ。一方、千住さんがメモリーホワイトニングの会社の人間だったことに驚く店長が「離れ離れになった娘との記憶を薄めたい」と相談するが、アシタがそれを止める。「わかった。僕もう記憶消さん。そのかわり、今から飲みに付き合うて。」アシタと店長と千住さんの3人で今日はもう記憶なくなるまで飲もう!と盛り上がり外に向かう中、アシタくんだけが立ち止まり、振り返って、客席に向かって。いや、愛おしい人に向ける視線でこう言うのだった。

「ありがとう。僕、前を向いて生きるよ」

 

ここでこの物語は幕を閉じる。

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いやいや無理無理全然こっちが前向けないんですけど。

この「ものがたり」、これでも相当割愛してるんですよね...今からもっと細かいポイントや考察、そして魔境のアシタくんのSNSことツイッターにも触れていきます。そりゃ140字でこの舞台のヤバさを正しく伝えるのは到底無理。

かなり長くて複雑なあらすじだったので、ここで一回ざっくりと内容を整理します。劇中時系列でまとめると、

アシタくんと「私」は付き合ってたんだけど「私」が不治の病になり余命が短いことがわかる

アシタくんが今後過去に囚われることなく自分の人生を歩めるようにふたりでメモリーホワイトニングすることを決める

しかしアシタくんは記憶を消したくはなかった...だから、もしいつか思い出したくなったら思い出せるようにふたりで家のあちこちに謎解きを仕掛ける

クリスマス(!)にふたりで記憶を消しに行く

アシタくんはあるとき何かを忘れていることに気付く

家をよく見るとおかしな謎解きがいくつもあり、フォロワーの力を借りて謎を解く

元恋人(私)の記憶を消したことを知る

記憶を取り戻す

元恋人(私)のことを思い出して泣く

「俺、前を向いて生きるよ!」

ちょっと待てい。(千鳥ノブ)

いや、物語の核心付近に触れはじめると本当に長くなるから一回序盤に話を戻しましょう。

2. 細かいメタネタ・好きポイント集・考察

☆~OP前までのメタネタ(思想強め解釈も含む)

・近頃なんだか気分が晴れず、仕事中にぼーっとしてしまうことも多いアシタくんが店長に叱咤激励されるときの言葉

店長「若いんやからしゃきっとせんと!愛くるしい顔してるんやから。この店の看板店員になって、雑誌に取り上げられたりとかやな…」

アシタくん「いやいや僕なんてそんな...」

この自信のない感じよ.........「自信ないのにプライドがある こんなにも厄介なDreamer」(Hey! Say! JUMP/Good Life)ですか....?いや、アシタくんはそんなにプライド高いタイプじゃなさそうだから違うか...と思っていたらその後の物語で「俺、頭いいだろ」って言うからプライド高かったわまさに「自信ないのにプライドがある こんなにも厄介なDreamer」そのものだった。

・映画「捨て猫ウォーズ」を見た千住さんが「(主人公?の猫が)曇竹さんに似ていた」と言ったときのアシタくん

アシタくん「親戚からも『捨て猫顔だ』って言われることはあります…」

千住さん「そうなんですね、ミルクをあげたくなるというか、母性本能をくすぐるというかね!」

アシタくん「…雨に打たれた子猫って言われたこともあります…」

(中略)

アシタくん「僕普通に笑ってても『愛想笑いだろ』って言われるんです」

脚本のう大さんの有岡大貴解像度の高さに震えるオタク。う大さんご本人も「正直、有岡さんをイメージして結構書いた」っておっしゃってたしね。「ミルクをあげたくなるというか、母性本能をくすぐるというか」私は有岡くんばぶ宗派のオタクではないんですけどツイッタランドでよく見かけるという意味で見覚えがありすぎて震えました。「普通に笑ってても愛想笑いと言われる」もかなり心当たりがあって...ね.....いやまあそこまで意図してない可能性は全然あるから思想強オタクの戯言だと思ってください.......

・劇場版「照くん、カミってる!」のディスク(ちゃんとジャケ写は知念くん)を手に取る千住さん

千住さん「へー、劇場版『照くん、カミってる』…」

アシタくん「今大人気なんですよね!主役の知念さんがすごくいいみたいで。」

千住さん「どこらへんがよかったですか?」

アシタくん「顔ですかね!口角がキュッと上がってて、『国民の甥っ子』って感じですね。」

どこらへんがよかったですか?って聞かれて「顔」って答えるのはさ、それはもうオタクが言うやつなんよ。あとこれね。

 ・アシタくんのツイッターのアカウント名

アシタくん「あっよかったら、僕のSNSも見てみてください!結構おすすめのムービーとかつぶやいてるんで。」

千住さん「絶対フォローします。アカウント名は?」

アシタくん「え?あー、Tomorrowboyです。(早口)…ちょ、恥ずかしいですねこういうの。下の名前が『アシタ』って言うんで、『Tomorrowboy』。boyはもう『Tomorrow』だけだと短いしなんでもいいや!boyだし!くらいのノリで…」

改めて聞かれるとなんか気恥ずかしくて、誰も聞いてないのにアカウント名やユザネの由来をぺらぺら喋っちゃうツイッタラーオタクあるあるすぎる。でもこのあと、アシタくんの知らないところで飼い猫のケケに本当の由来をばらされています。

ケケ「アシタが昔、自分でつけてる日記の内容があまりにも平凡だから表紙に『アシタ少年の大冒険』って書いてたんだよ。かわいいよね。で、SNSの名前をつけるとき、そこから『アシタ少年』を英語にして『Tomorrowboy』にしたんだ。」

謎の男「人のプライバシーをあんまりべらべら喋っちゃいけないよ。」

まったくもってそんなエピソードは聞いたことがないのに、このセリフを初めて聞いた瞬間「有岡くんそういうことやりそう...『ダイキ少年の大冒険』自称したことありそうすぎる.....」と思ってしまったのはなぜなのか。

☆とんでもないOP

先述の通り、プロジェクションマッピングを駆使して有岡大貴が舞台を縦横無尽に駆け巡り、踊る。この舞台は本当にセットの組み方が巧くて、このあとのストーリーにおける回想シーンを演じるためと舞台を90°回転させて(180°ではない)メモリーホワイトニングコーポレーションとして使うために階段と上階がある。これによって演劇そのものの立体感が増しているのはもちろんのこと、このOPシーンにおける臨場感も格段に上がる。その姿は主人公そのもので、かつおそらく細かい音にまでこだわって作られたであろう中毒性の高いテーマソングに合わせて有岡くんが舞い踊る姿は、PARADE以来の生の有岡くんとの「再会」であったオタクにとってはずっと見たかった「アイドル有岡くん」そのものだった。この舞台は「空」「天気」もモチーフにしている。幕が上がって最初のアシタくんによるモノローグは天気に絡めた自己紹介から始まっていた。

突然ですが、自己紹介をしますと、僕の名前は曇竹アシタ。苗字に「曇」というややネガティブな言葉が入っていますが、世の中には「雨宮さん」など苗字に「雨」が入っていても素敵な方もいるので、「曇竹」だからといって言い訳にはなりません。言い訳にはなりません…っていきなりなんのことかと思われると思いますが、つまり、僕はそんなに明るい性格の人間ではないのです。あ、苗字は「曇竹」ですけど、下の名前は「アシタ」なので、「明日」つまり「Tomorrow」ということで明るい兆しはありますよね!

また劇中序盤の何かはわからないが心にもやもやを抱えた状態のアシタくんのことをこの脚本は「心に雲がかかったよう」と表現していたし、なんといってもこの舞台のパンフレットにある謎解きの答えは「かえりみちはあめあがり(帰り道は雨上がり)」だった。東京公演の千穐楽を私は観劇していないが、観劇した人によると開演前は雨だったのに終演後は止んでいたらしい。あまりにできすぎた偶然だが、それもまたこの舞台の「物語」なのだろう。

話が逸れた。

というわけで天気と関わりが深い舞台でもあるので、このOPで有岡くんは傘を持って踊る。それは時に魔法のステッキとなり、時にはプロジェクションマッピングを映すスクリーンになっていた。これまた大きなこの舞台のテーマである「謎解き」を彷彿とさせる、先の見えないもの得体のしれないものに対して立ち向かう映像演出と振付で、何度でも言うけれどこのときばかりは曇竹アシタではなく有岡大貴の立ち姿であったし、今日この場所に足を運んでいるのはそんな有岡大貴が見たい人たちがほとんどであることをこの男は熟知しているのだと戦々恐々とした。舞台上には有岡大貴ただひとりが立ち、その奥には真っ白の背景に大きく掲げられた「produced by DAIKI ARIOKA」の文字は我々観客に対する宣戦布告であったし、私はとんでもない人を好きになってしまったのだと痛感させられた。

そう、この舞台の一番おそろしいところは「このすべてを有岡大貴が考えた」...と言うと過言になってしまうかもしれないが、さまざまな才能をもった人が結集したこのチームを統括し、指示を出し、すべての打ち合わせに参加してこれらを「完成」させたのは有岡大貴であるというところだ。つまり、あんなところも、こんなところも、すべて有岡大貴のチェックが入ったお墨付きなのである。もはや当然の前提と化していた事実だが、この文章を打っているだけで興奮してきた。私はとんでもない人を好きになってしまった。(2回目)

☆ケケとの絡み(1)

アシタくん「おまえ今笑わなかった?笑っただろケケ〜ご主人様に対して失礼だぞ お?機嫌悪いな?よおし、ケケっ(やさしいボイス)…おまえはほんとにこれが好きだな〜チョロいチョロい」「俺も猫になっておまえと遊んでみたいな〜あ、おまえが人間になるパターンもあるな。それも楽しいかもな。いや、でも人間になったおまえが、もしあまりにもイメージと違ったら嫌だな。…このままの関係でいよう。」

何が怖いってここ結構アドリブなんですよ。私は2回観劇したんですけど2回目は「おまえはほんとにこれが好きだな~チョロいチョロい」はなかったんですよね。怖。どこまでも恐ろしい男。1回目の観劇のときに連番させていただいた伊野尾担さんが「『このままの関係でいよう』、有岡大貴に言ってほしい言葉第3位くらいなところありません?」って終演後に仰ってて頷きすぎて首がもげそうになった。「私も一般人の有岡くんと一般人同士として出会ってみたかったな。それも楽しそうだな。いや、でも一般人になった有岡くんがもしあまりにもイメージと違ったら嫌だな。...このままの関係でいよう」みたいなことよくオタク(バカデカ主語)言うよね???ここもめちゃくちゃメタネタだなあと私は勝手に思っていました。う大さん天才。

アシタくんとケケとのけしからん絡みはこのあとも何度か出てきますが、なんといってもアシタくん、対外的には声が高くて明るい一面もありつつ根が暗くてかなりキョドキョドしているし一人称は「僕」なのに、ひとりでいるときやケケと接するときは声も低くて言葉遣いが荒くて一人称が「俺」、外面だけ見ていたらとても想像はつかないのに飼い猫のことは「おまえ」と呼ぶアシタくん....うん.....この時点でもうヤバいしあまりにも「有岡大貴」のパブイメとコアイメ把握しすぎ。こっっっわ。有岡大貴こっっっっわ。ちなみに後で触れるSNSことツイッターではすべて同じ人がツイートしてるはずなのに一人称は「僕」「俺」「おれ」が登場します。「僕」と「俺」とを使い分けてヤーヤーヤー。

☆最初のヒントが見つかった(3つのヒントのうちヒント2を探している)シーン

アシタくん「こっわ!誰かが家に入って置いたってこと?それか友達の誰かが…いや、まず友達がいない...見れば見るほど俺の字っぽいな。俺が書いたの?俺が書いて、置いたの?」

え、友達いないのに恋人はいたの?

のちの言い伝えによると、この舞台を由来として「友達がいないのに恋人がいる男性」の暗喩として「アシタくん」という固有名詞が使われるようになったんだそうじゃ......(そんな言い伝えはない)

☆メタネタ集 その2

・最初の3つのヒントと問題を発見したあと、ツイートで協力を仰ぐシーン

アシタくん「《フォロワーのみなさまへ 日常生活を送っていたら、突然謎とヒントが出現しました。わかる人いますか?DM待ってます》ケケ!俺頭いいだろ!ミステリームービーが好きな人だったら、わかるかもしれないでしょ。よし、送信。\シュッポッ/ この謎は、僕が必ず解いてみせる。じっちゃんの名にかけ\お風呂がわきました/なんちゃって(てへ) ケケ、お風呂入ってくるね!」

「俺だって『じっちゃんの名にかけて』って言ってみたかったよ!!!」(cv. 有岡大貴)だもんねえ....よかったねえ.......7年越しに企画・プロデュース・主演舞台で言えるなんてねえ...............(すすり泣き)(そんな感動ポイントではない)あと「なんちゃって(てへ)」はあのBubble Gum歌い終わりのやつですね!!(全JUMP担に伝わる表現)

あとシンプルに自担の「俺、頭いいだろ」は縁起物すぎて、神輿担ぐ感覚で\良いよーーー!天才!/って言わせてほしかった。

・店長の娘さんにおすすめする映画

まだ店長の元奥さんが再婚する前、月1回の顔見せで店長の家に娘さんが遊びに来るのだとうきうきだったとき(アシタくんのほうは最初に公園のベンチに行くために早退を願い出た日)に「何か映画見せてやろうかな。おすすめある?女の子な」と言われたアシタくんが答える映画が日替わりアドリブだった。ちなみに私が観劇したときは1回目が「美少女戦士ピーラームーン」で2回目が「BRAND BY ME モラいもん」で、他の公演では「映画ペディキュア」とかもあったらしい。自担の「ナイフにかわっておしおきよ!」が聞けたのはラッキーだったけど、セーラームーンプリキュアならガッツリプリキュア世代なので自担の初代プリキュアOP曲替え歌聞きたかったなあ!(笑)このあたりの日替わりはきっと某有岡担さんがブログにまとめてくださることでしょう。

・落彫り

最初に公園に来たとき、アシタくんはベンチの落彫りを読み上げる。「『ゆうとあいしてる』これはただの落書きというか…落彫りだ。『凶悪軍団参上』...意外と治安悪いな。」『ゆうとあいしてる』の部分は完全にメンバー内でのローテーションアドリブ(基本的にはほとんどの公演がゆとゆりのどちらかで、あとは観劇しに来たメンバーがいればそのメンバーの名前を言っていることが多かった。ただ、山田くんに関してはこの後もう一度公園に来たときに新しく増えていた落彫りとして固定で名前が読み上げられるため、「りょうすけあいしてる」の公演はおそらくなかった。)、『凶悪軍団参上』の部分は『だいきぶっとばす』に変わっていたり、公演によってはどちらも言っていたりした。ここの日替わりもおそらくどなたかがまとめてくださるでしょう。

☆泥酔~ケケとの絡み(2)

この1回目の公園で「おまえさえ消えれば」と書かれたプレートのようなものを見つけたアシタくん。

アシタくん「こわ!え、なにこれ?おまえさえ消えれば、ってなんだよ。おまえが消えろよ!!」

さっきも言ったけどあのキョドキョドしたアシタくんと同一人物とは思えないよ、、、ここも個人的解釈としては誹謗中傷とちょっと似てるところあるのかもしれないなあと思いました。「おまえが消えろよ!!」ド正論。

そんなふうに荒ぶるアシタくんのもとに、この公園の近所に住んでいるという千住さんがバッタリ現れます。(結末を知ったあと見れば、ここは千住さんがアシタくんを心配して見守っていたことがわかりますが...)「何かいらいらしてるように見えたから明るく声かけたんですけど…僕でよかったらお話聞きますよ、飲みに行きません?」という千住さんの提案をアシタくんは一度は断りますが、去ろうとする千住さんを「飲みには...行きたいです」と引き留めるアシタくん。不器用ツンデレか。

ハイそしてそのあとが大問題。ダイキ(※アシタくん)、泥酔して帰ってきます。

有岡担のビッグドリームその1お風呂上がりのダイキ、有岡担のビッグドリームその2泥酔して帰ってくるダイキ、有岡担のビッグドリームその3ベッドで無防備に寝るダイキ、有岡担のビッグドリーム4コンビニから帰ってくるダイキ、有岡担のビッグドリーム5泥酔した上司のやけ酒にめんどくさそうに付き合う宅飲みダイキ、そのすべてが叶うとんでもセルフプロデュース舞台「アシタを忘れないで」。改めてまとめるととんでもないなおい。

まず泥酔アシタくんの「ただいま」、私が行った2公演でも「ただいまー、遅くなってごめんね」の優しい声バージョンと「ただいまー、いい子にしてたか?」のオラオラ声バージョンと完全なギャップ見せつけられたんだけどどうしてくれるんですか?(?)

「なんとね、俺ね、珍しく人と飲みに行っちゃいましたー!(敬礼)」

有岡くんの考える「泥酔した人の演技」って「敬礼」なんだ、、、とそこに食らった。有岡大貴が、有岡大貴の思う「泥酔した人」を今ここで再現しているしんどさ。

私が行ったときは「楽しかったー!しかも?なんか?友達?できちゃったっぽい!どうする?どうする?よし、記そう。」で日記つけはじめてたんだけどとある公演ではここで「なんか?友達?できちゃったっぽい!なーにー、ケケさん嫉妬した?だいじょうぶ、ケケが一番だよ~」とかふにゃふにゃ泥酔演技でアドリブ入れてたらしくて背筋凍った。ちなみに伊野尾慧さんが観劇していた公演らしい。

「千住さんが同じ人に3回告白して3回振られた話は意外すぎて笑いました。千住さん、つえ〜〜〜」と日記もふにゃふにゃ書いてたのに机上に置いてあった「おまえさえ消えれば」が目に入って真顔で「醒めるわ~....」って言ったのもなにがしかのヘキに刺さった。悪役ダイキに言われたいセリフランキング7位くらいに入る。でもそのまま最悪な方向にはいかないのがアシタくん。「なんで『おまえさえ消えれば』なんだよ。もうわけわかめなんですけど〜〜〜わけわかめなんですけどっていうのももうわけわかめなんですけど〜〜〜(わかめの舞)」

SNSで誹謗中傷を受けたら全人類「もうわかめなんですけど~~~~~」くらいの気持ちでスルーしたいね。相手にすればするほど時間と労力とメンタルヘルスHPの無駄だからね。何の話。あともうそうとしか書きようがなかったんだけど(わかめの舞)ってなんやねん。不参戦勢のみなさんは観劇勢のオタクに会ったときにぜひわかめの舞をリクエストしてください。たぶん見ればわかめの舞としか言いようがないのがわかるので。

アシタくん「そうか、謎がまだ続いてるんだ。そうに違いない。『おまえさえ消えれば』うーん、俺は消えないぞばかやろ~ん~?」

自担の顔と声でこの言葉が聞けたの結構嬉しいかもしれない。そう、「俺は消えないぞばかやろ~」が受け止め方として最適解だよ、、、頼むから外野の戯言にはずっとそれくらい強気でいてね、、、(だから何の話)

そのあとUSBメモリを発見したアシタくんが「ミッションノットインポッシブルみたい!」と言ってミッションインポッシブルのテーマ歌い始めるところあまりにダイキすぎてLOVEだったんだけど、肝心のメモリに入っていたのは画像1枚だけ。肩を落としたアシタくんが「...だめだ、無理だ、酒入ってるし」って言うんだけど、ここも2回目行ったときは「...だめだ俺相当酔ってる」だったな.....どちらも一生のうち自担の口から聞きたい言葉ランキング上位すぎて、これをアドリブで入れている恐ろしいアイドル有岡くんに有岡担は完全に生殺与奪の権を奪われているんだなと思った。

ここで酔っていたアシタくんはベッドに身を投げ爆睡するんだけど(これが先述の唯一有岡大貴が舞台上にいるシンキングタイム)、んも~~~ここがとんでもなかったですよね有岡担のみなさん。

爆睡している設定だから照明もかなり暗めになっているんだけど、有岡くんが眠る演技をしなければならない(身動きがとれない)状況を利用してケケと謎の男こと羽村くんと大東くん(以下ハムリキ)が有岡くんにいたずらをします。ここが毎公演完全にアドリブで、いたずらをかけられる有岡くんとその捌き方(?)がけしからんすぎると話題になり、公演期間も中盤になるとこのシーンになった瞬間にサッと双眼鏡を構えだすようになったオタクたち。そんなアドリブシーンの一例がこちら。

・ハムリキに擽られて必死に寝ている演技を続けながらもちょっと笑いながら身を捩る有岡くん

・おへそを擽ろうとするハムリキ→耐えきれなかった有岡くんが客席に見えないほうに寝返りを打って薄目を開けてハムリキにちょっと笑いながら「おいやめろ、」って口パクで言う(2階席から全部見えてるよ有岡くん!!!)

・謎の男が持つステッキを有岡くんが引っ張り、バランスを崩す大東くん

羽村くんの手を恋人繋ぎで掴んで強めに引っ張り、これまたバランスを崩して寝ている有岡くんに倒れ込む羽村くんを抱き寄せる有岡くん

情報量。我々は何を見せられているのか。自他ともに認める寝起きの悪さを持つ有岡くんのわりとリアルな寝姿を生で見てしまって良いのか。ハムリキに対する接し方が本当にオラオラでけしからん。...などいろいろ言いたいことはあるのですが。最後のはなんだ。何も気付かないふりをして抱き寄せたってか。(Hey! Say! JUMP/ドラマチック)

もちろんこんなしんどアドリブだけじゃなくてハムリキとE.T.したり、ハムリキに熱波師をやらせたり(洗濯物をタオルに見立てて)とほっこりアドリブもあったのですが。まだまだ幼いハムリキと一緒になって遊んでる近所のお兄ちゃんみと、歳下のかわいい男の子をほしいままにするけしからんダイキ(語弊)の高低差で風邪引く。

☆コンビニから帰宅~ケケとの絡み(3)

何かを伝えたくて必死に話しかけるケケの言葉の意味を「おなかすいた」だと勘違いしたアシタくんがコンビニにケケのおやつを買って帰ってくるシーン。

アシタくん「ただいまー!生タイプの缶詰買ってきたよー、俺のアイスより高かったんだからな?」

言われたい。一生のうちに有岡大貴に言ってもらいたいセリフ50には確実に選抜入りする。ありがとう有岡くん、ありがとうう大さん、ありがとう「アシタを忘れないで」。そしてこのセリフを聞いてすぐさま「ただいまー!サラダチキン買ってきたよー、これでいいんだよな?俺のアイスより高かったんだからな?」に脳内変換する有岡担(わたし)。そんなこと言いつつさりげなく奢ってくれてるのめちゃくちゃ優しいじゃん結婚してくれ。

コホン、失礼。取り乱しました。

☆泥酔の上司に渋々付き合うアシタくん

そんなんもう人類の夢やんか。(エセ関西弁)まず泥酔した店長から電話がかかってきた時点でこれはめんどくさいことになると察して「今ベッドに入ったところで」と咄嗟の嘘をつくアシタくんからもうしんどい。なんとか断ろうとうまく言いくるめようとしているとインターホンが鳴って、

「…来てます?店長。絶対来てるでしょ、一旦切りますよ?」

のトーンがマジでダルそうで(最高すぎて)震えあがる有岡担。しかもビジュアルがほぼあの群青ランナウェイMVビジュですからね。おしゃれなパーカーを部屋着にしているアシタくんが疎ましそうに電話片手にアパートのドアを開けるんですよ。夢じゃん。

アシタくん「どうしたんですか?(低トーンボイス)」

店長「履歴書の住所見てやって来た(泣)」

アシタくん「それはいいですけど…どうしたんですか?」

いやそれはいいのかよ。けだるげなのになんだかんだ優しい夜のアシタくん......

泣きわめく店長が大暴れする中、やっと落ち着いてベッドに腰をかけてアシタくんが飲み物を冷蔵庫に取りに行きます。

店長「何飲む?普段酒は何飲むアシタ?」

アシタくん「ホッピーですかね」

これ私の1公演目だけあって2公演目はなかったのでこのあたりも完全アドリブだと思われるんですが、もはやそれは全然アシタくんじゃなくて有岡大貴なのよ。

ちなみに私の2公演目は、

アシタくん「何飲んできたんですか?」

店長「(ビニール袋から缶を取って見せながら)Bubble Gumビールや、ほら」

ここで不意打ちでBubble Gumの名前を出されて完全に素で照れた有岡くんの顔が忘れられないよ2021。見た瞬間心臓がぎゅっと掴まれて鼓動が早くなってえ、、、これが、、、恋、、、?となった顔オブザイヤー2021。(お姉さんもう2022年ですよ)

店長「俺を慰めてくれ。歌でも歌って俺を慰めてくれ。」

アシタくん「歌ですか?」

店長「ああ、元気の出る歌でも歌ってくれ。」

アシタくん(日替わりで任意の曲をちょっと口ずさむ)

この日替わり曲、他の日はどうだったかわからないんですが私が行った公演では1回目がV6のWAになっておどろう、2回目が山下達郎のクリスマス・イブ。もう一度言いましょうか、山下達郎のクリスマス・イブです。え、、、自分がオタクにどう見られているか把握しすぎではこの人、、、真夏にクリスマス・イブってあのセクサマもびっくりだけど、そんなもの恋の概念こと有岡大貴の前では関係ない。でもこんなに語りつつ私は悲しいくらいクリスマス・イブ covered by DAIKI ARIOKAの記憶がない。きっと他のセリフ部分で記憶容量をフルに使い果たしてしまったんでしょう。もしくは破壊力強すぎて吹っ飛んだか。悲しいのでカバーアルバム出してほしい。

その後ほどなくして猫アレルギーの発作を起こした店長が毛玉を吐きそうになるギャグシーンがある。そこでアシタくんが店長を介抱しながら「毛玉吐く寸前じゃないですか!とりあえず外行きましょう。外行くのはいいですけど大きな声やめましょうね。」って諭すように言うんですね。はあ、、、酔った上司を介抱するアシタくん、、、(拗)そして散々付き合って振り回されて帰ってきたアシタくんは「もう本当に自分勝手だな店長。落ち着いたと思ったらいきなり「ひとりにしてくれ」だもん。」と心底疲れてため息をつきます。最高(のシチュエーション)。まあこのとき本編ではアシタくんの元恋人が自分だと全観客が気付いたところなのでみんなそれどころではないのですが。

 

ここでもう一度日記を捲りながらのアシタくんのモノローグを引用します。

そこには、僕と恋人のかけがえのない日々が綴られていた。一緒にムービーを見たり、新しくできた食堂にふたりで行ったり、ケケを拾って一緒に飼い始めたり。その他多くの、一緒に笑ったことや、喧嘩したこと、そして、なぜ僕たちが今一緒にいないのか、その理由が書いてあった。俺、こんなに大切なことなのに、何も思い出せない。ケケ、おまえは知ってたんだね。ここに書かれてる人のこと。

はあ~~~~~~~しんどい。(n回目)ここからはこの「ケケ、おまえは知ってたんだね」について詳しく考察してみたいと思います。

☆ケケと謎の男についての考察

ここまでお読みいただいているみなさんは既にストーリーの結末までご存じの状態だと思います。この物語では、終盤にこれまでずっと「ケケ(と観客)にしか見えない存在」であった「謎の男」の役職が、「死神」であることがケケとの会話で明かされます。つまり、整理すると、

ケケはアシタくんと元恋人(私)の飼い猫。2人とは違ってメモリーホワイトニングの処置を受けていないため、元恋人(私)の存在も過去の記憶も知っている。

死神くん(謎の男)はおそらく元恋人(私)の余命がわずかになったときにアシタくんの家にはじめて「仕事として」やって来たと思われる。なぜなら「死神」だから。「今は仕事じゃなくて、君の友達として来ているんだから」と死神くんは言っていたけれど、そもそも「仕事」で来ていなければケケと死神くんは出会っていないはずなのだ。

したがって、ケケも謎の男もなぜ物語序盤のアシタの気分が晴れないのかもなぜこんな謎が仕掛けてあるのかも全部最初から知っていたはずだ。

それもそのはず。この舞台は2028年が舞台で、元恋人(私)が不治の病に侵されており助からないとわかったこと、ふたりで記憶を消すことを決めたこと、ふたりで謎解きを作ったこと、そしてふたりで記憶を消しに行ったクリスマスはすべて2026年の出来事だ。2026年に仕掛けた栄養ドリンクが果たして何もせずに家のデスクに載っていることがあるだろうか。デスク周辺などのわかりやすい場所にあるならもっと早く見つかっていただろうし、そんなに長い間出さないようなところにあったのならいきなり出てきて机の上に置いてあることもないだろう。

つまり私の仮説はこうだ。

近頃やけに覇気がないアシタを心配して、ケケが死神に相談する(死神は謎解きがはじまってから久々にケケと再会したような描写はなかったため、定期的にアシタ宅を訪れていると考えるのが自然だ)→死神がアシタとアシタの元恋人が生前に作った「最初の謎とヒント」をアシタが見つけやすい場所に移動させた

これならこのあと物語の途中途中で繰り広げられるケケと死神くんの会話にも整合性が取れるのだ。

【1回目のシンキングタイム】

死神「君のご主人様はいよいよ動き始めてしまったようだね。...応援するの?」

ケケ「...うん!でもそれが本当にアシタにとって、いい結果になるのかな。」

死神「神のみぞ知る、か」

ケケ「へんなの。君が神なんて言葉を使うなんて。だって君は...」

死神「ああ!いいじゃないか。今は仕事じゃなくて、君の友達として来ているんだから。」

ケケ「僕横で見てて全然わからなかったんだけど、なんで部屋中に謎があるの?」

死神「さあ?とりあえず答えを考えてごらんよ。」

ケケはもちろんアシタくんが元恋人との記憶を失っているという結末を知っているが、なぜ部屋中に謎があるのかはいまいちよくわかっていない。ということは、先の仮説で最初の謎とヒントを部屋のわかりやすい場所に移したのは死神しかいないとわかる。

【2回目のシンキングタイム】

死神「こんばんは、ケケ。君のご主人様は引き返さないみたいだね。」

ケケ「でも僕とっても心配だ。この謎解きが始まってから、アシタ、なんだか妙に元気なんだけど、最後に待っているものを手に入れたとき、アシタはどうなっちゃうのかな。」

死神「止めるの?」

ケケ「止めはしないけど、ただ、本当にすべてを知る意味ってあるのかな。」

死神「なるほどね。」

ケケ「だけど僕は猫だもん。話しかけられるわけじゃないし。一生懸命話しかけても、エサを欲しがってると思われるのが関の山だよ。」

死神「わからないよ?言葉は通じなくても、想いは通じるかもしれない。」

ケケはやはりすべての結末を知っている。だからこそ、もうこの時点からアシタくんのことを心底心配している。最後の「言葉は通じなくても、想いは通じるかもしれない」はこのご時世のアイドルとファン、そしてこのあとガッツリと触れることになる板の上(舞台上)と客席の関係性とも重なる名セリフだと思う。だけれど、ここでケケが予想した通りにこのあとアシタくんはケケの決死の訴えを「おなかすいた」だと勘違いしてしまう。本当に鈍感で罪な男だ、アシタくん。

【3回目のシンキングタイム】

死神「こんばんは!ついにここまで来ちゃったね。ていうか、君のご主人様は全然自分で謎を解かないよね。」

ケケ「アシタはそういうの苦手なの。」

出た全肯定オタク。めちゃくちゃ身に覚えがある。

【4回目のシンキングタイム】

死神「ややケケ、いよいよ謎の方は大詰めじゃないかい。メモリーホワイトニングにログインできるかな?」

ケケ「とりあえずログインしないと話にならないよね。」

死神「心の準備はいいかい?」

ケケ「僕はいつでも、戦闘態勢だよ。」

死神「それは結構。」

(中略)

死神「ていうか、なんで君そもそもあの人の誕生日知らないの?元々君のもうひとりのご主人様だった人じゃないか。」

ケケ「知らないよ。誕生日を知ってる猫なんて聞いたことない。」

死神「それで言ったら謎解きをする猫も聞いたことないよ。」

ケケ「誕生日がわからないならどうしようもないじゃん。教えろ。君なら知ってるだろ。またネズミ投げるぞ。」

死神「落ち着けよ。」

ケケ「僕はアシタを助けたいんだ。」

死神「実を言うと、僕も知らないんだ。」

ケケ「ええ!じゃあ何かの奇跡が起きるのを、待つしかないね。」

死神「大丈夫、何度も親切な人が助けてくれただろ。きっと今回も…」

ケケ「そうだけど!でも、僕だってアシタのためにできることはないのかな…」

死神「祈ろう。」

ケケ「祈る?...どうか、最後のお願いを叶えてください。お願いします!」

...もう結末に近付いてくると動悸がしてくる....しんどいよ..........(しっかり)

実は最初のシンキングタイムでも、答えがわかって早くアシタに送らなきゃ!と慌てるケケを死神くんが「それは他の人に任せておこうよ。君のご主人様が正解に辿り着く運命なら、きっと親切な誰かさんが答えを教えてくれるさ。」と止めています。死神くんはぜんぶ、ぜんぶ、最初からわかっていたんですね。もしこれでアシタくんの元に誰からも答えが送られてこなかったら所詮それまでの運命。舞台上の世界、このあと登場する言葉だと「こっちの世界」に生きるケケと死神には、「こっちの世界」と「向こうの世界」が交わる奇跡が起きることを祈るしかなかったのです。

こうして終わった4回のシンキングタイム。アシタくんはいよいよ真実へと辿り着きます。だから、「ケケ、おまえは知ってたんだね」。先のモノローグを語り終えて、アシタくんは「神」のアカウントが消えていることに気付きます。

舞台が暗転し、また板の上にはケケと死神くんが。

死神「ケケ、君のご主人様は君が望んだ結末に向かっているのかな?たとえそうでも、そうでなくても、人間は運命には逆らえない。神の心から真実を探すのは、運命なのさ。穴の空いた心が、今のままじゃ嫌だと、泣いているんだよ。どう?ロマンチストだろう。僕たちは、みんなロマンチストなのさ。」

“僕たちは、みんなロマンチストなのさ。”

ここで再び有岡担は痛いほどに感じさせられるのである。

そうだ、この舞台はProduced by DAIKI ARIOKAなのだということを。

だって、知っているから。彼がどれだけロマンチストな人かなんて、有岡大貴が好きな人なら誰しもが知っている。

そうだね、自担がロマンチストなのは充分知っていたけれど、ここまでのロマンチストだとは覚悟が決まっていなかった。私たちはゴールを目の前にしたとき、そう胸を抑えて、この物語の行く末を見守るしかなかった。

☆「こっちの世界」と「向こうの世界」についての考察

ちょっと順番前後しますが、アシタくんがすべての記憶を取り戻したあとのケケと死神くんの会話についての考察をここでします。以下再び先の「ものがたり」で触れたものと同じ引用です。

謎の男「こんばんはケケ。その後ご主人様はどう?」

ケケ「たまに日記を見ながらわんわん泣いてるけど、それも含めて”生きてる”って感じだよ。」

謎の男「素晴らしいね。」

ケケ「ところで死神くん」

謎の男「なんで急に役職で呼ぶのさ。ここには仕事で来てるんじゃない。君の友達として来てるんだから。」

ケケ「僕のもうひとりのご主人様は、あの世で楽しくやっているの?」

謎の男「それは僕の知るところじゃないけど、こっちの世界で死ぬっていうことは向こうの世界で新たに生まれるっていうことだからね。僕だって、あっちでは天使って呼ばれてるんだから。」

ケケ「それじゃ、もうひとりのご主人様は向こうの世界で生きてるってことだね。」

謎の男「そういうこと。」

ケケ「たまにはこっちの世界のこと、思い出してくれてるかな。」

謎の男「それはないだろうね。人間は向こうの世界でオギャーと生まれた瞬間にこっちの記憶は全部消えちゃうんだ。」

ケケ「そんな...」

謎の男「でもわからないよ。こっちの世界にも、向こうの世界にも、奇跡はあるからね。」

ケケ「そういえば、アシタと一緒に謎を解いてくれた人がいたんだけど。アシタはその人がね、」

謎の男「その人が?」

ケケ「…まあいいや、今でもアカウントを探してるんだけど、全然見つからないんだって。」

謎の男「不思議だね。」

ここで死神くんの口から語られている「こっちの世界」「向こうの世界」とはなにか。シンプルに捉えればそれは、「この世」と「あの世」。あの世とこの世は行き来できないし、同じ世界線に生きることはできない。ここにこの舞台の特徴である客席との双方向性が生きてくるのです。

「こっちの世界で死ぬっていうことは向こうの世界で新たに生まれるっていうことだからね。」

この物語では「この世」と「あの世」を舞台の板の上(アイドル)と客席(ファン)に喩えていて、舞台上と客席はあの世とこの世のように行き来することはできないけど、こっちの世界(舞台上)でアシタくんと付き合い死んだ私が向こうの世界(私の今生きる世界、私にとってはこの世)に生まれて歳を重ねて今日この舞台を見に来て、「アシタくんと付き合っていた前世を知った」。

でもこの舞台で「私」とアシタくんが出会ったのは2025年。つまりは「前世」でありながらも「未来」の話なので、「記憶を失っているだけで君と僕は前世で付き合っていたかもしれないし、この先の未来で君と僕が出会って恋人同士になることもあるかもしれないね?」って有岡大貴が心に語りかけてくる、そんな舞台なのです。リアル「未来で待ってる」。

「こっちの世界にも、向こうの世界にも、奇跡はあるからね。」

そう、この「アシタを忘れないで」という舞台は、この本来交わらないはずの「こっちの世界」と「向こうの世界」がこの舞台に足を運んだ観客とSNSによって奇跡的に交わったことで、アシタくんは元恋人との記憶を取り戻すことができ、元恋人である「私」はアシタくんと付き合っていた前世を知ってしまった。重要なのは、私たちはアシタくんのことを今回の舞台で「知った」けど記憶は取り戻していません。舞台上のアシタくんはメモリーホワイトニングコーポレーションで記憶を戻す処置を受けたけれど客席の私たちは受けていないし、何より今私たちが生きる世界に生を受けた瞬間、私たちはアシタくんたちが生きる世界にいた頃の記憶は全部消えてしまったのだから。けれど、「(この舞台を通して)僕のことを知ったからには、それぞれ別の世界に戻っても僕のことは忘れないで」、つまり、「アシタを忘れないで」というわけなんですね。

☆アシタくんの口から語られる「私」への愛

いやタイトル気持ち悪いなとか言わないで!!私も思ったから!!!でももうそう言うしかないんだよ!!!

ここでもまた、先の「ものがたり」でも言及したアシタくんのモノローグを引用します。ちょっと話が戻って、アシタくんが記憶を戻す処置を受ける直前の会話です。

日記によると、突然告げられたお医者さんからの余命は半年でした。僕たちは本当に仲が良かったみたいです。料理の好みも、笑いのツボもぴったりで。恋人同士であり、親友みたいだったって。ずっとずっと一緒にいようねって約束したり、たまに喧嘩したり、ありふれた日常だけどそれが幸せだったって。なのに…何も思い出せないんです。あの人が僕のために提案してくれたって、日記には書いてました。あの人との記憶を消したほうがいいって、僕には前を向いてほしいからって。それで約束したんです。記憶を消すって。でも、僕は忘れたくなかったかな。わがまま言って、もし奇跡が起きたら、またあの人のことを思い出せるようにって、一緒に謎を仕掛けたんです。その作業が、とても楽しかった。って、日記には書いてました。感じたいです、あの人のこと。

ここの有岡くん本当に名演技だったからなんとかして全人類に見てもらえないだろうか。つらくてたまらないシーンなのに、何度も何度も無理に笑ってみせたり、わざと明るい声で語りかけたり、その塩梅が本当に上手い。やけに具体的な内容に心臓を掴まれたまま、「でも、僕は忘れたくなかったかな。」で顔は無理やり笑っているのに涙声が交じるアシタくんでもうその心臓は握りつぶされた感じ。ふたりとも未練があって謎を作ったんじゃなくて、アシタくんの「わがまま」で最後の一縷の望みを奇跡にかけたんだ。アシタくん私(概念)のことめちゃくちゃ好きじゃん...とまたきゅっとなる。

まず「恋人同士であり、親友みたいだったって。」はもうただの有岡大貴なのよ。(n回目)その上「ずっとずっと一緒にいようね」なんて、青くて、あとから振り返るとちょっぴり恥ずかしくて、儚い、はじめての恋をした中高生みたいなそんな甘酸っぱい思い出を、愛おしそうに振り返る世界一好きな人と同じ顔と声に目の前で演じられて正気を保っていられるほうがおかしい。「ありふれた日常だけどそれが幸せだった」そういうありふれた日常の中の小さな幸せをいとおしむタイプの人なんだということは、後述のアシタくんのツイッターで痛感しているから息が詰まる。

『感じたいです、あの人のこと。』

「あなたのことを感じたい」「あなたをそこに感じる」って究極の愛情表現、愛情表現の最上級だと思うんです。私は。

私は今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にどっぷりハマってるんですが、その劇伴を担当されている方のオンラインコンサートでテーマ曲の幻の歌詞付きバージョンが披露されて、そのタイトルが「あなたをそこに感じた」で大号泣したんですけれども。

あれも愛する人を失った物語でもあって、でも形見の辞書を開けばその人のことを思い出したり、飛んでいる鳥を見てあの人も今自由に空を駆けているかななんて思ったり。その人の好物を見かけたらなんとなく買って帰りたくなったり。抱きしめ合うとかの身体的なつながりを通して存在を「感じる」ことだけじゃなくて、「あなた」にまつわるものや「あなた」を想起させるものを見る度に思い出すという精神的なつながりを通して存在を「感じる」ことだって、大きな大きな愛だと思うんですよ。そしてこれは、「こっちの世界」と「向こうの世界」、舞台上と客席、アイドルとファンという関係性にも言えると思うのです。

アイドルとファンは、一部の例外を除いて身体的接触をすることはできません。それを商品にしているアイドルもこの世界にはいますが、だとしてもそれは恋人同士のような密接した愛情表現としての意味を持つ接触ではありません。けれど、だからといってアイドルとファンの間に「愛」は存在しないのか?答えはNoです。私たちは身体的なつながりを通した「愛」を持つことはできませんが、精神的なつながりを通した「愛」を持つことはできますし、現に持っていますよね。直接触れ合って1対1で長時間語り合うことは不可能でも、そして今のご時世においてはコンサート会場での歓声までもが出せなくても、死神くんが言っていたように「想いは通じるかもしれない」。こんな時代だからこそ、精神的なつながりの強さを信じていたいし、想いは通じると信じたいよね。この舞台を通して企画・プロデュースを担った有岡くんが伝えたかったのはそういうメッセージなのではないでしょうか。ちょっと深読みしすぎかな。笑

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拗。有岡担的2021年今年の漢字は「拗」です。(お姉さんもう2022年ですよ)

はい。以上がトップオブ拗らせ舞台「アシタを忘れないで」の詳細解説です。

有岡担がいつまで経っても事あるごとに「アシタくん...」と譫言を言う理由、おわかりいただけたでしょうか。こんなとんでもない舞台と、このあと触れるSNSを浴びてなお無事に生還した有岡担は称賛に値するし、ほんとに冗談じゃなくグローブ座周辺には有岡担の生霊が棲みついていると思います。くわばらくわばら。

3. アシタくんのTwitter

(※画像はツイート内画像も含めてすべて再現です。SNSの内容については公式にコピー機能があり、1個1個コピペしてメモ帳に移すと保存できたため、他の観劇した有岡担にも協力してもらいながらTwitter風メモアプリで再現しました。ツイート内画像については類似画像を探しました。)

Q. アプリの制作も、また大変でしたよね?

A. (有岡くん)そうですねー、アプリのー。

(う大さん)想像もつかないですよね。

(有岡くん)本当に大変でしたけど、それも結構、松丸くんやRIDDLERのみなさんが知恵を貸してくれて。

~中略~

(有岡くん)隠し要素は結構、仕掛けてありますので。

(う大さん)まずツイートの数がめちゃくちゃありますよね。仕掛けた歴代のツイートの。

(有岡くん)タイムラインと写真もね?画像もたくさん入ってますので。

(松丸くん)そうあれもね、しっかり1枚1枚撮ってもらって。

https://withonline.jp/people/ent-encounter/ZcvFO?page=4

アプリ内SNSについては、宣伝で掲載された雑誌も含めて「有岡くんが作ったと取れる書き方だけれどいまいち確証は取れない」書かれ方をしているので「絶対に有岡くんが書いたツイートだ」とは言い切れないことを前提に以下はご覧いただきたいのですが、うーん、私の見解としてはやっぱり「これは有岡くんが書いただろう」と確信するようなツイートがいくつもあったなという感想なので、ひとまず仮定として「これらは有岡くんのツイート」であると想定して言及します。先に言っておきます。しんどいです。恋です。キュンです。

★有岡くんって我々と同じツイ廃イッタラーだったんだ編

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まず一番古いツイートが「はじめました」なの、ガチ感あっていいですね。というか最初のツイート2023年1月だったか、未来といえどもうすぐじゃん!?と編集しながらドキドキしてしまったオタク。ちなみに本物のアシタくんのツイッターはアカウント名が「TOMORROWBOY」でIDみたいなものはなかったはずなんですが、ツイッター形式で再現する都合上このような形にしてみました。でもアイコンは本物と同じくねぐしぇあだよ。てかアシタくんのツイッターのアイコンがねぐしぇあって、それはもう有岡くんすぎるのよ.....f:id:spectacle_nina:20220218183458j:image

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これヤバいね。「今日あちー」「今日もあちー」「今日も今日とてあちー」の3日連続ツイート、だいたい同じ時間(朝)に投下されているところも含めてガチのツイ廃イッタラー。あれ?有岡くんTLにいたっけ?(錯覚)

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自転車にうどんは謎すぎるけど、後者これ聞いたことあるんですよ私。

有岡くん「俺も近況話そうと思ってたけど髙木のあとじゃ話せねー...シャンプーとコンディショナー間違って買ったって話をしようと思ってたんだけど....」

髙木くん「それだけ持って近況トークしようとしてたの?」 ベイジャン 2015.3.13

やっぱり有岡くんが書いてるんじゃ...と慄くこと1回目。


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レンジに卵入れちゃって(おそらく)大爆発させた日と別日なのがミソですよね。この頃はゆで卵の研究に夢中だったんだね。 本当に友達いないんだね...

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これも何か日常で些細なトラブルがあったときに解決する前にとりあえず現状をツイートしちゃって数分後になんでもありませんでしたツイートするの本当にツイ廃の所業だからね。(ついに太字で言った)
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これが戦いのリズムだ...?ガンガン行こうぜ...???(Hey! Say! BEST/スタートデイズ)
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もうこれははっきり言いましょう、ツイ廃です。
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舞台が未来だからお風呂の香りも先進的になっていていろんな種類がある設定で、毎公演ここもアドリブ入れてたなあ。(1回目のシンキングタイムのところ)ポッピングシャワーの香りとか、ケチャップの香りとか、大阪公演だと551の香りとかもあったらしい。
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居酒屋でずっと働いていた店長のこだわりで「はああああ⤵いらっしゃいませええ⤴」と癖強いらっしゃいませを繰り広げていたアシタくんの職場・レンタルムービーショップ。ここが盛大な前振りになり、ラストシーンの「いらっしゃいませ。(めちゃくちゃ落ち着いたトーン)」で逆に笑いが起きていたのはさすがの福田転球さんのバランス感覚だったなあ。すごかった。
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まあケケは(観客にとっては)日本語喋れるんだけどねえ...あと「w」の使い方がリアルでしんどい。f:id:spectacle_nina:20220218182645j:imagef:id:spectacle_nina:20220218184219j:image
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アシタくんただの映画オタクですこ。映画のことになると完全に我々と同じトーンのオタクですこ。このツイートを考えたのが本当に有岡くんだったら、ちょっと先の楽しみが生きがいになる気持ちが「理解っている」アイドルなんて最高じゃないですか。でも実際有岡くんもそういうところあるよねえ。ずっと楽しみにしてた映画だったからプレミアムシートを予約してた話とかもベイジャンでしてたもんね。そして最後の主語なしお気持ちツイート、見覚えがありすぎて有岡くんやっぱりTLにいた?(2回目)
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ありおk、コホン、アシタくん宝くじとかロト6買うタイプですか?このあと毎年恒例おみくじツイートもあるけど神頼みとか運試しとか好きそうだもんなあ。え?私はあくまでアシタくんについての話をしてますよ?
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「とれんかった」エセ関西弁もツイッタラーの常套手段ですからね。ガチのツイ廃(わたし)が言うんだから間違いないです。
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有岡くんは幼稚園で育ったから保育園のお昼寝の時間がどんな感じなのか気になるみたいなことをかなり前に言っていた記憶がある。たしか髙木くんが保育園だったはず(ということはこれもベイジャンか...ベイジャンは偉大)しかも有岡くんは結構幼稚園のときのエピソードも(あとから親御さんに聞いたこともあるにしろ)かなり覚えてるイメージだから、ここはアシタくん≠有岡くんなツイートかも。
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有岡くんほんとずっとスマホ触ってそうだから(それは名取先生)(でも有岡くんもPARADE開演直前まで見てたのしっかり覚えてるよ)足元にだけは気をつけてほしい....(誰??)
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裕翔くんに「デッドスペースだよね?」って言われるぞアシタくん。
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髙木雄也さん「どれだけ家に一人でいたくないんだよ(笑)」(実際に有岡くんに対してあった発言)(これもベイジャンだ...笑)
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有岡くん「俺理系だから」(真偽は不明)
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潜在意識とか心理テストとか夢占いとか好きだよね有岡くん。一時期ベイジャンがHey! Say! TEST一色だったことを思い出す....(またベイジャン)ちなみに高いところから落ちる夢の潜在意識は「日頃からストレスや不安に襲われて心穏やかに過ごせない状況」らしいですよアシタくん。
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お茶の間の認知が高い小学生アイドル有岡くんがこのツイートを書いたのだとしたらいろいろと滾るものがある。ちなみに私は飲んで終電で帰って最寄りでタクシー捕まえたときにタクシーの初乗りが払えないくらいしか財布に残金がなくてパスモにギリ支払えるくらい入ってたからそれで難を逃れたことならあるよ。何の話。良い子は真似しないでね!
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有岡くんわりと生活リズム乱れてるタイプの成人男性?好きなんだが.....(まあ彼はアイドルなのでお仕事で否応なくの部分も大きいと思うけど)3時くらいにえぺログインしたら山田くんがオンライン中で安心したエピソードとかを思い出しつつ、この舞台に行ってからというもの身内オタクとの鍵垢で事あるごとに言い訳のように下のツイートを拝借しているオタク。午前6時は起きる時間じゃなくて寝る時間。
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さっきも夢のツイートあったけど夢の話を頻繁にする人ってかなりのツイ廃という独断と偏見がある。(特大ブーメラン)
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「あー、これはツイ廃ですねえ、、(医師の診断風)」としか言いようのないツイートたち。そして最後のが個人的にぶっ刺さりすぎてかなり引きずった。お、おれが看病に行くよ.........(?????)

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有岡くんは視力が良くないはずだけど、このフリーターみ溢れる(実際フリーターだし)アシタくんのツイートを作成している(かもしれない)有岡大貴さんには萌える。有岡くんも何の意味もなく求人サイト見て「トラックの運転手って給料高いなー...」とか思ったことあるんだろうか。
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「ツイートしてる間があればカップ麺にお湯くらい入れられるでしょ」とかそういう話ではないのよ。やらなきゃいけないことはわかってるしむしろやりたいんだけど目の前のツイート願望には勝てないそれがツイ廃。ツイッターをぼーっと眺めて需要ゼロのツイートをすることしかできない元気レベルってものがこの世の中にはある。
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ぐ、群青村ルポライター...?

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有岡くんのご褒美ってラーメンのイメージあるんだよな。やっぱり普段はほとんど炭水化物、それも脂質と掛け合わさったラーメンなんて食べないようにしてるんだろうな...とラーメンご褒美エピとかラーメン食べたくなったけどやめたエピとか聞くたびに思う。たんとお食べ...

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有岡くんってたまにめちゃくちゃ生活力低い発言することあってびっくりするよね。

有岡くん「たまたまお休みで家にいたんだけど外見たら雪降ってるなと思って、出前を頼もうと思って。出前でこれが食べたいっていうのがあったんだけど全滅で。一人で飢えと戦ってました」ベイジャン 2018/02/23

いや何かしら常備しておいて!?となるし、このツイートに関してはちゃんと定期的に冷蔵庫見て!?となる。忙しかったのかな、お疲れさまです。でも有岡くんってこういうところが放っておけなくてモテ......なんでもありません。

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ほぼ毎年ツイートされているおみくじの結果。あと以下は短すぎてもうひとまとめにした集。今回アシタくんのツイッター再現に使ったメモアプリ「ツイメモ」、すごくよかったんだけど未来の日時で設定するとこんな風にTLだとバグるのが玉に瑕。

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毎日洗濯するのとかもめっちゃ有岡くんだけど、「z取れたけど打てるわwww」はだいぶインターネッツに染まっていてショック(引くな引くな)
f:id:spectacle_nina:20220218184858j:imageこれとかめっちゃ最近...というか先週(2/12)のベイジャンでも雪だるまを作っている親子がいてお母さんのほうが子どもよりはしゃいでいて微笑ましかったって言ってたけど、有岡くん結構公園で子ども連れを微笑ましく見ていた系エピソードトーク多い気がするんだよなあ。気のせいかなあ。「代々木公園とか言って子どもと一緒になって遊んじゃって奥さんに『もう、どっちが子どもかわかんない!』って言われたい」とか言ってた過去もあるわけですしお寿司、、

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これ衝撃的すぎて時刻まで間違いなくメモしたんだけど5/1の0:06にこのツイートするのは本当にガチのツイッタラーだよ。(何回言うの)

★影が垣間見えるツイート編

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このあたりは本当に謎解きが始まる直前のツイート。
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こういうの言えないのめっっっっちゃ有岡くんって感じしません?知らんけど。
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これやん。完全に。

 ほんとにそんなことないよ。有岡くんはいつだってオンリーワンの主人公だよ。(届かぬ声)

★有岡くんのそういう感性が好きだ編

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ハイ個人的に一番有岡大貴濃度高いツイート来ました。有岡担のみなさんにお伺いします。

これ、断片的に全部聞いたことある情報ですよね?

夕時のいろんなおうちの夜ご飯の匂いが好きなのも、少し前に流行った歌でも良いと思ったものはずっと聞いているのも我々が既に知っている情報.....私はこのツイートを見て、「これ絶対に有岡くんが書いてる」と思ったんですよね。この胸がキュッとする有岡くんの感性がほんとうにあったかくて繊細で等身大で好きなんですよ.....

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これ、え?と思って2回目行ったときも確認したけど12時台投稿だったんですよね。個人的にはかなり謎。ミスかな?それとも朝焼けって言いたかったのかも。当方、好きな音を聞かれて「まだ暗いんじゃないかくらいで人が少ない始発の早朝のホームの音。好きっていうか、胸がきゅっとなる」って答えていた有岡くんがめちゃくちゃ好きなのでね....これは2021年9月のベイジャンでの発言だけど、始発....津田沼.....そうだよね.....となる。津田沼行ったときに時間にゆとりのある電車で行ってしばらく津田沼のホームの景色を目に焼き付ける不審者ムーブやったもんなあ。
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これは、数あるアシタくんのツイートの中で超個人的キュンとしたツイートランキング栄えある1位です。このツイートがもし有岡くんの手によって書かれたものなんだとしたら。有岡くんは仕事に行きたくない朝は「俺を必要としている人がそこにいる」と思って重たい一歩を踏み出していくんだ、と思っただけで、なんかまだまだ自分の生活頑張れる気がするなってこのツイートを見て思った。もしこのツイートたちが本当は有岡くんが考えたものではなくてもそれはそれでよくて、ただ私はそう思うことで元気も勇気ももらえるなと。あと下のツイートもなんだけど店長のことを「上司」って打ってるの好きすぎる、、そうだよねツイッタランドにはいろんな職業の人がいるからそう書いたほうが世間的には通じやすいかもしれないもんね、、もしかして有岡くんも事務所の上の人のこと「上司」って言うタイプなのかな......好きだな......

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★「私」と付き合ってる期間のしんどツイート編

まあここまではアシタくんのツイッターの序章です序章。(なんてハイカロリーなんだ....)ここからがしんどいのオンパレードです。覚悟して進んでください。

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おそらく「私」とアシタくんが出会った日。
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・・・。

????????

ねえアシタくん、わたし肉じゃが作れないんだけど誰よその女・・・(ほん怖BGM)
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・・・へえ・・

歯ブラシ、2本ありますね・・・(実際のツイート内画像もそうでした)(しんどい)f:id:spectacle_nina:20220218191440j:image

へえ・・・

まあいいんです、これ相手「私」のはずなので・・・(ホラーテイストにすな)
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これ、本編にも登場しましたけどほんとにけしからんですよね?まだこれ折ってるときは観客は真相に辿り着いてないので、「誰よその女.....というか自担の女(概念)の洗濯物の畳み方をオタクにやらせるってとんでもない男........」と脳内昼ドラ展開しながら折ってたらその相手は自分だったという。いやでもそのアイデアが出てくるってさ。いやはやいやはや。(すべてを言わずに誤魔化そうとするオタク)f:id:spectacle_nina:20220218191442j:image

うん、対角線上に欠けてるね....?どうして....?反対側から取りたくなっちゃったのかな....???まあ相手「私」だからいいんですけどね(茶番)

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写ってる、写ってるよ~~~相手の分写ってるよ~~~友達いないのに恋人いるアシタくんしんどい(最高)よ~~~~~

まあ相手全部「私」なのでそれはいいんですけど、どうしてこういう匂わせSNSの教科書みたいなツイートをここまで忠実に再現できるんだこのツイートたちの創造主は。え?だめですかそうですか....(シル・ヴ・プレジデント)

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これは元恋人(私)の病気が発覚したときのツイートたち。「俺、どうすればいいんだろ」「そっかぁ」「う~~~~~」は重たいカミングアウトを受けた恋人の反応としてリアルすぎて。3:59にツイートされた「ふと俺のことを誰も知らないどこか遠くに行ってしまいたくなる」でまた切なく苦しくなる。

★ケケ溺愛編

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え、なにこの直近3つ。

劇中におけるアシタくんのケケへの扱いがとんでもないことはお話ししましたが、ツイッターでも健在な「ケケへの扱い、恋人への扱いとほぼ同義説」。なーにが「ケケってなんで存在するだけでかわいいんですか~?天使ですか~?」だ。なーにが「仰向けに寝てたらケケが乗ってきてそのまま寝ちゃった...かわいい...」だ。なーーにが(可愛いから許す)だ。全部有岡くんが書いたという前提で言いますが本当にとんでもない男ですよこの人は。てかその構文を、、知ってるんですね、、へえ、、

この舞台を観た有岡担一度はみんな「ケケになりたい」と思ったと思いますが、よく考えてみて、飼い猫にこのレベルの甘やかし方する人、ぜったい恋人にはもっともっと甘やかしてただろきっと。思い出して、我々は全員「アシタくんの元恋人」だということを。....いや無理無理無理やっぱ無理.......f:id:spectacle_nina:20220218192006j:image

泥酔アシタくん「ケケさん嫉妬した?だいじょうぶ、ケケが一番だよ~」

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惚気るな。

やっぱり全体的に、ありおかk...コホン、アシタくんのツイートの節々から、この人は何気ない日常の些細な、でもあったかい幸せを大切にするタイプの人なんだな、ということが否が応でも実感させられて非常にしんどかったです。何度でも言うけど、ただでさえ舞台の内容がしんどすぎなのにこんなにしんどいツイッターまで浴びて、よく無事で帰って来たよみなさん。この「みなさん」の中には実際に観劇した方だけじゃなくて、この誌面(?)再現にお付き合いいただいたすべての方も含まれております。さあ、これまで観劇勢だけで内に秘めていたこのバカデカ感情を非観劇勢のみなさんにもシェアしてしまった今、もうこれを読んだすべての人がアシタくんと、このすべてを統括・企画・プロデュースした有岡大貴くんに愛を拗らせてしまえばいいと思っています。

そして、映像化...は難しいのかもしれませんが、Youtubeにダイジェスト動画がアップされることはずっとずっと諦めない所存ですので、あの場面での死神とケケのようにただただ祈っていようと思います。本当に長くなりましたが、少しでもあの夏の劇場にタイムトリップした気持ちになっていただければ幸いです。お付き合いいただきありがとうございました。

 

☆おまけ(隠しファイルの謎と答え)

実はこの舞台専用アプリ、遊びはアシタくんのツイッターだけではございません。設定アプリのメニューの中に「隠しファイル」という項目があり、そこにはこんな問題があります。

【🍕3➡🍕2】

本編1つ目の謎解きのヒントのひとつに、クレイジーピザキャンプ3のジャケットがありました。これを、「映画レビュー」というアプリにタイトルを打ち込むことで見られる【クレイジーピザキャンプ2】のジャケットにすり替えて、本編1問目で【クレイジーピザキャンプ3】の付箋が貼られていた部分と照らし合わせた上で読み替えます。すると、「公園のベンチ」だった答えが「公園の番地」になるので.....

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このツイートを参照して「隠しファイル」のパスワード(4桁)入力欄に「0150」と入れると、、

アシタくんの写真と「天才!」の文字があったらしい、です。らしい、というのは、2回目の観劇のあとに謎は解けたんですが3回目の観劇の予定だった公演が中止になってしまったので、隠しファイルの謎解きがどうしてもわからないと仰っていた当時のフォロワーさんに途中までのヒントをお教えして、その方がこんな感じでした、と教えてくださった伝聞形だからなのです、、悔しい、、ちなみにこのアプリ「映画レビュー」、本編や小道具で登場する映画のタイトルを入れると店長(ハンドルネームはBIGOCEAN)やアシタくんや千住さんのレビューが読めてここもかなり楽しい遊び要素。猛者オタクはここのHNをもとに店長や千住さんのツイッターに辿り着いた人もいるとかいないとか、、!?

そしてこれも最後の最後のおまけ情報なのですが、実はこの舞台、おみやげメッセージなるものがありました。これはグローブ座周辺だとまだ出てこなくて、新大久保駅(グローブ座の最寄り)周辺や電車に乗ってからアプリを開くと、「ありがとう!(本名下の名前呼び捨て)!俺、前を向いて生きるよ!!!」というメッセージが表示されます。そしてその翌日にはもうアプリを開いてもそのメッセージは表示されません。儚い夏の甘い夢でありながら、意地でも忘れさせないというアシタくんと有岡くんの意思を感じるとともに、我々の魂は永遠にグローブ座に取り残されてしまうのでした.....つまり別れてすぐ送るんじゃなくて別れて相手が電車に乗ったあたりで「今日はありがと!」ってLINE送るタイプなんだろそうなんだろダイキってやつは、、、、

「あの日」の嵐に会いに行こう ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”

遡ること11月8日。私は「あの日」の嵐に会いに行った。菊池風磨さんも言っていた通り、このジャニーズ初のライブドキュメンタリー映画を一言で言うならばまさに「再会」。これは、そんな再会を通して私が見たもの感じたものの記録である。

 

本編開始1秒。

5×20のOPに使われていた曲が流れる。でもコンサートDVDとは違って、会場内の様子やOP映像は流れない。この映画が収録された公演(シューティング)がはじまる日本時間18時直前、その瞬間の東京ドーム周辺の空撮から、同時刻の世界各都市の様子が変わるがわる映し出される。いつコンサートがはじまるのか、本当の開演前のように息を詰めて画面を見つめる。その後再びカメラは東京ドーム周辺を映し出す。

私は5×20の公演が始まった当時、高3だった。受験を間近に控えて、後楽園駅から東京ドームをまるごと通り抜けて水道橋駅近くにある予備校に毎日通っていた。

空気感まで「見える」みたいな、非常に劇画的なカメラワークに、あの冬の冷たい空気が、これから「幸せ」が具現化された空間に足を踏み入れるひとびとの高揚と熱気が漂う会場周辺が、そんな中で予備校に向かわなければならないという陰鬱とした気持ちが、でも最後にまたドームの方を振り返って見上げて「今日も嵐はここで頑張ってるから頑張ろう」ともらった勇気が、体感として蘇る。これから私は、「あの日」の私で、「あの日」の嵐に、会いに行くんだ。身体が震える。あと数分か、数秒か、

バンッ。

暗転。OP曲がクライマックスに向かっているのがわかる。どうしよう、もうすぐ、もうすぐ、

「5×20」

表示されるロゴ。そして暗転。そして一瞬の静寂ののちに。

 

キャーーーーーーーーーーーー!!!!!

真っ暗なスクリーンにただ歓声の音声だけが響いた瞬間、その渦が耳を包んだと同時にオートみたいに一筋の涙が溢れた。その次の瞬間、私が大好きだった5人のアイドルが姿を現す。そこからはもう堰を切ったように涙が止まらなくなって、ずっと、ずっと、静かに嗚咽して泣いてしまった。ここが泣けた、とかじゃなくて最初のブロックはもうひたすら泣いていた。泣きすぎて、開演ギリギリに口に放り込んだのど飴を誤嚥した。(危険なのでこの映画を鑑賞する際ののど飴は非推奨です)

大好きだった空間。

大好きだった時間。

大好きだった、アイドル。

アイドルと私たちがずっと愛してきた空間。そして今、ずっと待ち望んでいる空間。

大好きだった東京ドームで、5万5000人*1がぎゅうぎゅうに、満員で、マスクもせずに、全力で声を出して叫ぶ。

こんな空間は、時間は、いつになったら戻ってくるのだろう、と。

そして、大好きだった空間で、大好きだった彼らの生き様を、このときと同じように浴びることは永遠に不可能*2なのだ、と。

ふたつの意味を持つ「今なくなってしまっていて、いつ戻ってくるか、そして果たして戻ってくるのかもわからない光景」が襲いかかる。

コロナ禍以前、アイドルの現場に行く度に、本当に存在するんだ…と感じると同時に遠い存在であることを再認識していた。テレビなどの媒体を介して見るよりもずっと近いのに、媒体を介して見る彼らよりも生身の彼らのほうがずっと遠く感じる。一見矛盾している不思議な感覚だけれど、共感していただける方も多いと思う。

これに似た現象が、今回の映画を見ていても起こった。それは、

大好きだった嵐、2020年12月31日から見られていなかった本当の意味での「嵐」がいま、目の前にいるという実感。存在している。歌っている。踊っている。

一方でそれを感じれば感じるほど、そこにいる「嵐」が美しくあればあるほど、私が好きだった「嵐」であればあるほど、

もう「嵐」はいないんだ、帰ってくるかもわからないんだ、という実感が強く強く湧いてくる。

「嵐がいた時代」の記録であり、記憶を閉じ込めたカプセルを開いてその当時にタイムスリップしたかのように入り込むことができるこの映画のほうが12月31日の配信よりもずっと残酷だった。そして美しかった。なぜか。12月31日はまだ「今」の姿だったけれど、この映画は完全なる「過去」だからだ。映画を見る前の世界は、当然ながらもう嵐がいない世界線だ。私たち嵐を愛していたすべての人は、前世で何の徳を積んだのか、この映画によって「あの日」──活動休止は発表されていたものの、メンバーもファンも誰ひとりこんな世界になるなんて思っていない頃、メンバーは北京も国立もロスも五輪も最後の5大ドームツアーもできるだろうと思っていた頃──にタイムスリップすることを許されたのだ。四方を高音質のスピーカーで囲われ、前方からは彼らの声が、他の三方からは観客の歓声が身体を包んで、まるでこれまでの現場で入ってきたようなさまざまな席の視点からのカメラワーク、生で見ているかのような画質の良さをすべて最高水準で兼ね備えたドルビーシネマは、巨大なタイムマシンでしかなかった。

でもどんなに望んでも私たちは「あの日」に居続けることはできなくて、映画を見たあとに引き戻される現実世界もまた、もう嵐がいない世界線なのだ。まさに、「この時だけは君と共に」。「僕ら交わした声消えない」も胸を締め付ける。5×20のセトリはどれも歌詞で選ばれているからどの曲を聴いてもグッとくるのだけれど、とりわけ最初のブロックの曲たちと後述の5×20の歌詞は、時を経て「あの日」にタイムスリップする私たちのために選ばれたかのようだった。

この映画を私は、あと何度かは見に行くだろう。そしてその度に「あの日」の夢をもう一度追体験するのだろう。前世の私が積んだ徳に感謝したいと思うと同時に、その残酷さも胸を刺してくる。「夏」は、永遠じゃない。けれども、永遠ではない「夏」を彼らはフィルムに収めることで永遠にしてしまったのだ。なんという救いだろうか。そして、なんという呪いだろうか。

「夏」の定義に関してはこちらをご参照ください↓

spectacle-nina.hatenablog.com

 

大好きだった。5人の個々のパフォーマンスが、5人がひとつになって提供してくれるステージングが、大好きだった。大好きだったエンターテイメントが、いま目の前にある。ああやっぱり大好きだ。私の原点にして頂点だ。と思うのと表裏一体で脳裏をよぎる、このエンターテイメントは、この人たち(各メンバー)のパフォーマンスはもう見られないということ。そして、それを奪ってしまったきっかけは、ファンだということ。私は決して忘れることのないであろうその十字架を抱えながら、あの日、「たしかにそこにいた」生身の彼らを必死に目に焼き付ける。

天井席、正面スタンド、(やや埋もれ)アリーナ…などさまざまな視点からのカメラワークで、私はこれまでのオタク人生の中で入ったことのない「ドームのアリーナ席」を疑似体験することができた。嵐担に限らず、Twitterに上がるオタクのレポの中には「なんでこんなに細かいところまで見えるの?」と疑問に思うものも多々あったけれど、なるほどたしかにこれはよく見える。彼らの表情の微々細々、彼らが指先まで意識を張り巡らせることがわかるパフォーマンスまではっきりと見える。ライブDVDとは比較にならないスクリーンの規模と画質で、舐めるようなカメラワークでこの目線から見ることで、私はあることに気付く。

ジャニーズの、そしてドーム規模のアイドルとなると、どうしても現場で「距離」ができてしまう。私はその距離間を心底愛しているからこそ東京ドームという会場が好きなわけだけれど、この「距離」によって見えていなかったものがあまりにも多かったということだ。

それは、私が思っていた以上に彼らのパフォーマンスは、その指先から髪まで神経を張り巡らされて、あまりに多くのことに注意を払って計算尽くされ、自在に操って自らの解釈した表現を魅せているということ。

何を今更、と思われるかもしれない。

けれど、これまで足を運んだどの現場よりも、これまで見てきたどの円盤よりも、その肌感(もちろん布を隔ててはいるのだけれど)、筋肉の動き、張り巡らされた緊張感、鼓動を大迫力なんて言葉では言い表せられないほど感じることで「彼らがあまりにも自然にこなすから気付いていなかった彼らの努力」を身に染みて知ったのである。今や後輩に「尊敬する先輩(通称「尊先」)」としてその名を挙げられることの多い彼らにもそれぞれ「尊先」がいた。尊先やそのほか偉大な先輩の映像を繰り返し見ながら、どれほどの研究を重ねてきたのだろう。「普通の男の子」がこのレベルをさらっとやり遂げてしまうまでにどれほど血の滲むような努力をしてきたのだろう。

私が他に足を運んだことのある地下アイドル規模の女子ドル現場だと、そういった研究や努力の痕跡は見えやすい。短い自分の見せ場でいかに自分をよく魅せるか、いつカメコに撮られても気が抜けていると思われないように意識を常に張り巡らすさま。

女子アイドルのほうがそのスキルは高いとジャニオタが褒めているのを見たことがある。そのときはそうかもしれない、と思っていた。でも今となってはとんでもない。普段ここまでカメラや客の視点が彼らに近付くことがないから気が付いていないだけで、そして、彼らの真のすごさはその研究や努力の泥臭さを一切感じさせないことだ。これこそが真の「完成」なのだと、気付かされた。

夏疾風で、「限りある時の中 輝け命」と歌い舞う彼らを見ていると、「客席にいるとその人の命が削れてキラキラしたものが見える。自分自身を全部かけて、命が削れていって、その破片がキラキラ飛んでいくから」というバレエダンサーさんの言葉を思い出した。目の前の彼らがあまりに命を削るように踊るから、行かないで、ここにいて、と縋りたいような気持ちになってしまう。

長く嵐担をしている母がよく「嵐はパフォーマンス中に苦しそうな表情をしないからすごい」と言っていた。一緒に映画を見たあと、母はこう言った。「あの嵐にもしんどそうな瞬間があって、それに一番びっくりした」息遣いまで感じ取れるこの映画でなければきっと、ずっと気付かなかっただろう。

私が印象的だったのは、度々映し出される彼らの背中のカットだった。「アイドルの背中」ってあるなと私はこの映画を通して感じて、彼ら自身が以前語っていた数百人のスタッフを抱えた「嵐」というひとつのビッグプロジェクトのフロントマンとして、そして名実ともに日本の、世界のトップアイドルとして、抱えるもの、背負うもの、歩いてきた道がその背中から痛いほどに伝わってきた。社会人としてのかっこいい背中。それでいて、どこか現人神のような、非現実感。「背中の羽を隠す仕草」をしているのはあなたたちのほうでは、と言いたくなる*3。その背中の奥には、ペンライトが揺れる客席が見える。客席にもカメラは迫る。世界中の幸せを集めたような顔で彼らを見つめる人、涙ながらに彼らを胸の内のファインダーに収めようとする人、万感の想いを噛みしめるように凛と彼らを見上げながら胸を抑える人。きっとひとりひとりに「あの日」あの場所に来るまでの物語が、彼らと歩んだ人生があるのだろう。私の人生の隣にはいつでも嵐がいたように。

 

今回全編通して目を見張るものがあったのは二宮くんのパフォーマンス。私はもとより二宮くんのアイドルになるために生まれてきたかのようなステージングを心から敬愛していて、彼のパフォーマンスは緻密な計算と努力によって形成されているのだけれどそのすべてが計算だとしたらあまりにおそろしいから、その畏怖から私は彼のことを「天才」という言葉を使って表現してしまうのだけれど彼はどう見ても努力の天才だ。私は彼のアイドルとしてのパフォーマンスに全幅の信頼を置いている。アイドルとしての彼のすごさはあまりに過小評価されすぎていると私は思っているから、「二宮和也」というアイドルがいかにとんでもないパフォーマーなのか、その一端をぜひ嵐を履修したことがない方にこそ体感していただきたい。数多のアイドルが彼のパフォーマンスに影響を受けているはずだ。彼のパフォーマンスを語るのに、これ以上の言葉はきっともう必要ないだろう。

潤くんは衣装の扱い方がピカイチ。彼も魅せることに長けていて、二宮くんのすごさとはまた違った方向性で神経が張り巡らされたパフォーマンスは圧巻。二宮くんのパフォーマンスは広義での「演じる」の一種だとすれば、潤くんのパフォーマンスは彼が今まで貪欲に吸収してきたエンターテインメントを自分のものとして体得している、といったニュアンスが近いか。多くを学んできた人の言葉にはその人が涵養してきた教養の深さが見えるように、潤くんのパフォーマンスには「エンターテインメント教養」の深さが見える。そして彼のオーケストラ指揮パートでは、彼の代表作といえるドラマの主題歌メドレーが。潤くんとドラマの関係性は、個人的にアイドルとドラマの理想的な掛け算だと思っている。潤くんが役に命を吹き込み、「松本潤」としてではなく役名で認識され親しまれるキャラクターに作り上げてきただけではなく、役が「アイドル松本潤」のパブリックイメージ(そして時には本人の内面も)を変えてきたことに、「俳優」ではなくて「俳優であり、アイドル」という肩書きだからこそ生まれる相互作用によってそのアイドル像に常に変化をもたらしてきた唯一無二のアイドルだと思うからだ。そんな潤くんと俳優業との関係性と彼のアイドル像の変遷を振り返って見ていた。私は彼のアイドルとしての在り方に全幅の信頼を置いている。

末ズだけこんなボリュームで語ってしまったが私は(元)櫻井担である。

一生語ってしまうからさくさく行きましょう。翔くんのピアノに関しては音楽文のほうに寄稿したものがあるので。

spectacle-nina.hatenablog.com

 

大野智は「天才」である。無論、彼が見えないところ(誰もいないリハ室など)で努力しているのは知っている。けれど、彼はその努力を本当に見せないし、努力を努力とも思ってもいないのかもしれない。それは誇るべきことなのに。自身の才能についてもそうだ。「自信がない」の一言で済ませてしまうのも違うような、なんというか、執着がない。自分のすごさに気付いていない。気付いてくれ、あなたはすごいんだよ...!この映画のパンフでも「自分がこんなに応援してもらえるなんて。ありがたいけど、本当に不思議。」「スクリーンに俺が映ると、ファンのみんながすごく盛り上げてくれて。とてもうれしいんだけど、なんだか気を遣わせてしまっているようで申し訳なかったな」と言っているけど、ほんと、自分のすごさを自覚してくれ...!(2回目)でもその謙虚さが嵐随一のファンサービスの手厚さとかにも表れてるんだろうなと思う。いやしかし、現在このダンススキルと歌声が眠っていると思うとなんという国家的損失...とはいえ、私がこれからの彼に望むことは、おだやかに、しあわせに、生きていてくれたら。ただそれだけです。思う存分ゆっくりしていてほしいな。

相葉くんのアイドルとしての生きざまは本当にかっこいい。「楽しいから笑うんじゃなくて、笑ってればいいことあるかなって」と言っていた20代から、今回のパンフでの「人生の荒波を笑顔一本で乗り切るのはさすがに無理だと思い知らされました(笑)」への変化は、彼が重ねてきた歳月を感じた。「毎日笑顔でいてくれる。それって当たり前に思えて、当たり前のことじゃないからね」と伊野尾慧さんが有岡大貴さんのことを言っていたけど、本当に、誰にでもできることではないしその裏にどれだけの想いを隠して、グループが円滑に進むように支えていてくれていたのか。それがメンバーだけじゃなくて、どれだけの人の心の支えになっていてくれていたのか。彼の笑顔を見ているとなぜか泣けてきてしまうのは、そのほんの僅かな隙間から彼の繊細さがちらちらと光が洩れるように垣間見えるからだと思う。

これだけ全員のことが好きでもやっぱり櫻井翔さんを目で追ってしまうのは、私が彼の「マイクとペン」に心底惚れているからだと思う。私は彼の言葉に、生き方に、全幅の信頼を置いているのだけれそ、MCもメイキングもない今回の映画でもなおやっぱり彼が私の「担当」だと思うのは、彼が紡ぐリリックが、そして彼が歌うことで色を変えるリリックが、彼が見せたい景色が大好きだからだ。きっと。...いや、それはもはや後付けなのかもしれない。コンサート以外の部分で彼を好きになってしまった以上、「そのとき」を生きる彼の姿をひとつでも多く目に焼き付けようとするものなのかも。

たぶん、「好き」ってそういうことでしょ?

 

そして本編最後の曲、来てしまった。

「またここで君と逢えた」

スクリーンに映し出される文字。これは、コンサートDVDには映っていなかったカット。

まるでこの映画のためみたいじゃないか。現場で見ていたときとはまったく異なった意味を持って、私の心を震わせる。そうだね、また逢えた。嵐が止んだあと、ここまで「あの日」をリアルに追体験できる未来があるなんて、あの頃は思ってもみなかった。

「5 is my treasure number」

お気付きだろうか。この歌詞のとき、4人は「5」と手のひらを掲げるようにして見せてくれる。私は現場と円盤だけでは、このことにしか気付いていなかった。この映画でのカメラワークのおかげではじめて気付いたのだ。二宮くんだけが、いつも誰よりも歌詞を身振り手振りで表現する二宮くんただひとりが、腕を後ろに回して、その背中に手のひらを、「5」を隠していた。

そのことに気付いた瞬間、私は震えた。

「本当に大事なものは誰にも見せたくない」「隠しておきたい」二宮くんだ、と。*4

愛すべき(自他ともに認める)天邪鬼である彼が、背中に隠した大切なもの。とっておきの秘密。本当に二宮くんは、いや二宮くんだけじゃなくて嵐はみんな、本当に嵐のことが大好きだね。とまた泣きそうになったけれど前半で泣きすぎてもう涙は枯渇してしまったみたいだった。

「大丈夫 ここにいる」

この映画を見る度に、「あの日」に戻れる。「あの日」の嵐に会いに行ける。この映画には、嵐がいる。当時「なにが大丈夫なんじゃ泣泣」と思っていてごめん。こんな未来が待っているなんてね。(2回目)

ここで本編終了。アンコールも来るのかな、と思っていたら。

驚愕の演出だった。やられた。

漆黒の画面に、流れるエンドロール。そしてその背景に流れるのは、Love so sweet。そしてHappiness。

いや撮ってるなら映像も流してくれよ!!と突っ込みたくなった方も多いと思うけれど、そうじゃない。

嵐のコンサートに一度でも行ったことのある人で、Love so sweetとHappinessを生で見たことのない人はいない。つまり、映像がなく彼らの歌声と歓声だけが流れるからこそ、目を閉じると(閉じなくとも)「私が行ったあの日の現場」、見る人それぞれの思い出の現場が鮮烈に蘇ってきて、束の間そこにタイムスリップして浸ることができるのだ。なんてことをするんだ。こちとらもう出せる涙はないというのに。

本編終了をもって映画の本編は終わり、実質アンコールは使われていない。

この演出を見て、私はこう感じたのである。

ああ、活動休止は「本編終了」なのだと。

嵐の「本編」は、2020年12月31日をもって幕を下ろした。「いつか」があるとしたら、それは「アンコール」なのだと。

私はこれまで「活動休止」は「アイドルの終わり」のやさしい言い方だと思っていた。でも少し違っていた。「本編終了」。これ以上納得のいく、ぴったり合う表現は他にないと思った。

コンサートは、ジャニーズでは特にアンコールがあるのが前提だと思われがちだ。でも、本来は本編の終了が真の終了であり、「アンコールがあるのが当たり前と思われるのは嫌」という理由やそのほかの理由でアンコールがないコンサートもこの世の中には少なくない。本編が終わったらもう終わりだ、と思って帰る人もいる。

アンコールがあったとしても、すぐ来るときもあればこちらも待ちくたびれたあたりに来るときもある。アンコールをしようとしていたとしても、それを望む声が少なければなくなってしまうこともある。その逆に、アンコールを待つ声が大きかったとしても来ない場合もある。本編が終わって間もないうちはみんな大きく声を上げてアンコールを呼んでいても、規制退場のアナウンス(現実を告げる声)が響くと諦めて帰ってしまう人が出てくる。それでも粘って声を張る人がいる。でも、時間が経てば経つほど、「もうないんじゃない...?」といった声がざわざわと周囲から聞こえてきて、また人が去っていく。それでも、それでも、ずっと待っている人の声は止まない。

アンコールを待つ観客の声と、規制退場のアナウンス、それでもなお待つひとびとの声が映画館に響く。その歓声を聞く5人が、映る。5人は何も語らない。あるメンバーは微笑み、あるメンバーは挑発的に腕を組み、あるメンバーは涙を堪える。

「あーらーしー」

「あーらーしー」

「あーらーしー」

そして一瞬の間の後、

キャーーーーーーーーーーーー!!!

歓声で始まった映画は、この歓声で終わる。

アンコールの幕は上がるのか、はたまた。

 

これは私の勝手な想像だけれど、この演出は、ラストライブの最後の曲に「信じることがすべて」「明けない夜はないよ」という歌詞を選んだ彼、松本潤が託した一縷の希望なのではないか。

アンコールの幕は上がるのか、未来のことは誰も知りようがない。

ただ、この映画が終わる最後の最後まで、アンコールを待つ人の声は止まない。

諦める人がいても、離れる人がいても、現実を告げる声が止まずとも、どれだけ長く待とうとも、「その日」が来ることはなかったとしても、

ペンライトは揺れている。待つ人たちはずっといる。

彼女たち*5は、再び幕が上がるその日を、アンコールを、ずっとずっと待っている。

*1:この映画では大規模カメラ設置のためにそれより入り数は少なかったみたいだけど

*2:復帰の可能性を考えていないとかではなく…ここについては後述します

*3:EYES WITH DELIGHT

*4:彼が作詞した「虹」の一節にもある

*5:性別関係なくtheyと言いたい...

血の色の君

以下の文章は、こちらに掲載したものです。

記録として、このブログに移設します。

 

「もうすべて、すべてに君が息づいて そもそも赤は血の色でした」

とある方が書かれたジャニーズ短歌。「君」が指すのは、櫻井翔

私はこの歌を見たとき、電流が走るような衝撃を受けた。私がまさに感じ、苦しんでいた彼への気持ちがすとんと腑に落ちる表現だった。

赤は血の色。したことはないが、もし私が手首を切ればそこには彼の色があらわれる。私がこれから誰を好きになろうとも、私のからだには彼の精神が棲みついている…というと気持ち悪いか。私が好きになり、解釈し、形成した"翔くん"。彼なら何を選択するか、どう考えるか、どう表現するか。小学生から高校生にかけての多感な時期に、彼の生き方、考え方、言葉の選び方を一身に浴びて解釈して育った私は、彼に大きく影響を受けて人格を形成したと言っても過言ではない。というかその通りだと思う。

だから、彼は"血"なのだ。私の生き方、考え方、言葉の選び方。手首にナイフをあてるように、それらを切ってみればすぐに彼があらわれる。

はじめて「翔くんがすき。頭が良いから。」と口にしたのは小学生の頃だった。彼がそうだったから、本をもっと読みたいと思った。大人の新聞にだって目を通したし、ニュースもよく見ていた。レベルの高い周囲と競い合う楽しさを知った。勉強のおもしろさに気付いた。常に上を上を、目指したいと思った。親から大きな期待を背負って競争社会で戦っていた私の救いになってくれたのは、同じく小学生のときから競争社会に放り込まれたと話していた翔くんだった。

はじめて誰かに心酔して、その楽しさと苦しさを知ったのは中学生の頃だった。初恋は翔くんだったんだと思う、恥ずかしいけどやっぱりきっと。あんなに頑張って入学した学校の同級生は、自分とは住む世界が違う人ばかり。地元にも学校にも居場所がなくて宙ぶらりんになっていた私の救いになってくれたのは、同じく地元と学校、学校とジャニーズとの間で宙ぶらりんになっていたと話していた翔くんだった。

はじめて人生における大きな決断をしたのも、「担降り」をしたのも高校生の頃だった。私は高校1年の終わりに彼の担当を降りた。今から考えたら大したことない出来事なのに、さーっと熱が冷めてしまった。若気の至りだ。担降りしてもなお、彼が私の中から消えることはもちろんなかった。だって、彼は私の"血"だから。私は高1のときからずっと、経済経営系統の学部だけを視野に入れていた。理由は、言うまでもない。そして私は、周囲の反対を押しきって経済学部に入学する。反対されると見返したくなる天邪鬼さ、それに説得力をもたせてやるという反骨精神、周りがやっていることと同じことはしたくない負けず嫌いさ、選択するときにより困難なほうを選ぶ貪欲さ、すべてすべて、誰かさんから影響を受けた私の性格だ。

小さい頃から文章を書くことが好きだった。それを褒めてもらえる機会も多かった。図書館の広い学校に行きたくて中学受験をして、国語に力を入れている学校に入学した。文章だけは、私の唯一といってもいい武器であり私の矜持。そんな私は、彼の、すべてが彼の意図のもとで発される言葉が、文章が、大好きだった。いや過去形ではないな、今も大好きだ。美しくて読みやすいのにちょっとくだけていて、飾らない。彼みたいに、ユーモアを交えつつしっかりと堅くて、でも綺麗事ではなくて本音はそのままの温度で届けるような文章を書く人でありたい。何か思うところがあったときに、彼のように強気でいられるようになりたい。ロジカルな思考の仕方や論の展開を覚えていったのも、彼みたいに"言い返せる人"になりたかったからだ。私が音楽を聴くときに圧倒的に「詞」重視なのは、彼が「詞」で曲を聴く人であり、自らが書く「詞」にすべての想いを込める人だったからだ。

 


突然なんでこんな文章を書き出したかといえば、9月15日のオトノハに激しく心が揺さぶられたからだ。

翔くんはずるい、ほんとうにずるい。彼は特定のファンへのファンサなどはしないけど、ときどきとんでもない爆弾を落とす。それに、客席のファンひとりひとりをよく見ている。客席にあんな人がいた、こんな人がいたって話をするのは大抵彼だ。このオトノハにもそんな櫻井翔が詰まっていた。せっかくおしゃれして来てくれたのにレインコート着せることになっちゃってごめんね、文字起こしってあんなに大変なんだね。嗚呼、どこまでもずるい、でもどこまでも翔くんだ。

翔くんはずるい、ほんとうにずるい。彼は自分の夢を大きく掲げて言葉にすることでそれを叶えてきた。彼の言葉には神が宿っていると、私は本気で思っている。そんな彼は、活動休止後の夢については語ってこなかった。彼にとっては"嵐"が夢そのものであって、"この夢が1日でも長く覚めないように"と言っていた彼の願いは叶わなかったけれど、その"夢"の一旦のゴールテープを切ること、ただそれだけを見ているように見えた。そんな彼が休止後はじめて口にした夢が、自らが関わった東京大会を見て記者や伝える仕事を選んだ人に取材現場で声をかけてもらって、東京大会の話で会話に花を咲かせること。またそんなことを言って、ひとの人生をいとも容易く変えてしまうんだから翔くんはほんとうにずるい人だ。私は今大学3年生、就活生だ。数ヶ月前に参加した志望順位の高いとある企業で言われたのは、「この仕事では、"伝える"ではなく"伝わる"言葉を選ぶ必要がある」こと。奇しくも私は、「伝える仕事」を目指して動いている。このタイミングで。しかもそんなピンポイントな仕事を指名して。自らの夢を提示することで、たくさんの私と同じようなファンにも新しい夢を与えて、またとある人には「努力次第で翔くんと関われるかも」という夢を見せて。ほんとうにほんとうにずるい人だ。もうアイドルではないのにね、最高のアイドルだねって言いたくなってしまうことを許してほしい。

私は今違うアイドルにめいっぱい幸せにしてもらっていて、毎日が楽しい。9月に入るまで、年末年始私を苦しめていた嵐ロスもすっかり忘れて…というとそこまでではないんだけどそのほかのことで頭がいっぱいだったし、思い出す頻度も低くなっていた。それなのに、ときどきこちらが忘れないようにふっとあらわれて、ちょっとした言葉でこちらの心を掻っ攫って、ひとの人生を良い意味でめちゃくちゃにしてかき乱して去っていくんだ。そんなことされたら、誰もあなたのことを忘れるなんてできないよ、ひどいよ、と思う。この歳になるともう、他の誰のどんな言葉を受けてもブレない自分の"軸"がある程度あるけれど、彼の言葉だけは別物なのだ。私にとってその"軸"をつくってきたのは彼の生き方なのだから。

私の人生における大事な決断や選択にはいつも彼の存在がある。私の思考を分解すればいつも彼の言葉がある。これは彼に影響を受けすぎて育ってしまった私にかかった呪いでもあり、しあわせなギフトでもあるのだと思う。

「君」がいない、はじめての夏が来るーー嵐「夏の名前」はなぜこんなにも胸を締め付けるのか

以下の文章は、2021年5月14日付で音楽文 (https://ongakubun.com/) に寄稿したものです。当サイトのサービス終了に伴い、こちらに転記します。

 

夏が来ると、聞きたくなる曲がある。
嵐「夏の名前」は私にとって、そのひとつだ。

楽曲は、タイムカプセルに似ている。曲を再生する度に、カプセルに閉じ込められた思い出がふっと香って、頬をかすめる。
この曲を聞いてきっと、とある人は在りし日の横浜アリーナを、とある人は在りし日の国立競技場を、とある人は在りし日のハワイを思い出すのだろう。
彼らとの思い出は四季とりどりあるけれど、それでもやっぱり、夏の思い出は格別だ。

夏は明るくて眩しくて、だけどなんだか切ない。冬の恋よりも夏の恋のほうがずっと、泡沫のような儚さと脆さを感じてしまうのは四季がある国に生まれた人間の性なのだろうか。瞬きをしている間に、サイダーは気が抜けてしまうし、花火は散って空に溶けてしまうし、砂浜に書いた文字は消えてしまう。その煌めきとそこに隣り合わせる非永遠性から、人生の中でのいわゆる「青春」の期間を「夏」という表現を使って歌詞に表されることも多い。アイドルにとっての「夏」は、アイドルであった期間、いつも隣にいた仲間だったり支えるスタッフであったり応援するファンであったりする「君」といた時間なのだと私は思っている。というより、そうであってほしいと思っている。これは私のエゴだ。
そう考えた場合、「夏」のまんなかにいるとき、人は、この夏がいつ終わるかなんて考えていない。考えてみても、わからないからだ。夏が永遠に続かないことはわかっていても、いつ何がきっかけで季節が変わってしまうかなんて、誰も知る由もない。気付いたときにはもう、夏は知らず知らずのうちに終わっているのかもしれない。
だから夏はいつだって、「あのとき」なのだ。終わってはじめて、季節が変わってはじめて、「あれが夏だった」と気付く。
季節が変わっても、当然、日常ががらりと変わるわけではない。春も、夏も、秋も、冬も、いつも通りの暮らしが続く。心に穴が開いたような気持ちだろうと、無情にも変わらぬ日々に忙殺されているうちに、人はその穴を表層では忘れてしまう。
でも、ほんのふとした瞬間に―――たとえば、《あの時と同じような 風が吹いた》とき、なんかに―――鍵をかけた宝箱を耐えきれずに開いてしまったかのように、筆舌に尽くしがたい感情が湧き出て心が掻き乱されてしまうことがある。ああ、「君」はもういないんだな、と実感してしまうことがある。「夏の名前」の「君」も、私がはじめて恋い焦がれたアイドルである「君」も、この世から去ったわけでもなければ後者に関しては今もその元気な姿を見る機会に恵まれている。でもそれは、私にとっては「君」じゃない。あの「夏」の「君」には、どんなに願ってももう会えない。いつか会えても、それは「夏」とは別物だと私は思っている。《君の名前さけんだ 胸の奥が音をたてた》数え切れないほどの観客が、「君」の名前を叫んだときの「君」の表情が好きだった。「君」が観客の名前(のようなもの)を叫んでくれる空間が好きだった。「君」が、愛してやまないグループの名前を観客に問うあの瞬間の、「君」の幸せを噛みしめるような姿が好きだった。私が愛してやまなかった、今でも思い出してはチクリと胸が痛む、私にとっての「夏」の「名前」。それはきっと、「夏の名前」というタイムカプセルを開く度にこれからも過ぎってしまう、淡くて儚いこんな思い出。
どんなに今、叫んでも。バスの窓から君の名前を叫んでも君に届くことはなかった「夏の名前」の主人公のように、あの「君」には、「夏」の「君」には、もう届かない。届けられない。だって「夏」は終わってしまったのだから。

5月。まだ本番はこれからというのに、容赦なく照りつける太陽とアスファルトが焦げる匂い、雲一つない青空。夏のはじまりを感じる。
夏が来る。「夏」が終わってからはじめての、夏が来る。「君」がいない夏に、私は何を思うのだろう。

《君と出会ったこと 離れても忘れない いくつか過ぎてた 夏の名前 忘れないだろう》


《》内は嵐「夏の名前」より引用。

「親への餞」として捧げられた、花吹雪のような音のカケラ~ARASHI Anniversary Tour 5×20 「アオゾラペダル」に寄せて

以下の文章は、2020年10月14日付で音楽文 (https://ongakubun.com/) に寄稿したものです。当サイトのサービス終了に伴い、こちらに転記します。

 

サトザクラ花言葉は「豊かな言葉」と「善良な教育」、だそうだ。それを知って私は、なんて櫻井翔さんにぴったりな花だろうかと思った。「音と言葉つむぎ描く芸術(櫻井翔/Hip Pop Boogieより)」に矜持を持ち豊富な語彙でリリックをしたためる彼、そして受けてきた教育の良さと彼自身による努力を感じさせる深い教養を持つ彼を表すのにこれ以上ない的確な言葉だろう。

先日発売されたライブDVD「ARASHI Anniversary Tour 5×20」での1場面。東京ドーム一面に広がる、桜を模したペンライトの海。上方のステージから櫻井翔さんが降りてくる。スポットライトに照らされて燦然と輝くピアノの席に着いた彼は、ひと呼吸置いたあと、客席の静寂を待ってから意を決したように目の前の鍵を軽く叩くように弾き始める。そこにあるのはただ彼が命を削るようにその楽器を奏でる姿と、彼を象徴するような白、薄紅、桜色のペンライトの花が揺れる風景。

彼は、このシーンのことを「親への餞」と語っていた。

その一音一音、そのペダルを踏む一動作一動作が、紛れもなく彼のご両親への気持ちなのだ。胸を突き刺すような鋭く力強い音、幼子が親に向ける笑顔のように柔らかく温もりのある優しい音、そのすべてが彼の想いとして昇華されてゆく。彼が弾くピアノは、以前は力強いイメージが強かったけれど私はこのコンサートを観に行ったときにこんなにも優しい音も弾くようになったのかと感動したのだ。それは彼の弛まぬ研鑽の成果でもあり、彼が歳を重ねてどこか丸くなったことの証なのかもしれない。「アオゾラペダル」の歌詞に登場する「ペダル」は自転車のペダルのことだけれど、櫻井翔さんがピアノのペダルを踏む動作が度々カメラに抜かれているのはきっと意図的なのだろう。この5×20の「アオゾラペダル」での「ペダル」は、彼が踏むピアノのペダルにほかならない。〈思い切りふんづけた ペダルはまるで〉彼が捧げる思いの強さを表すようだと感じた。スクリーンに映し出されている映像とピアノを弾く彼とのマッチングによって天から光の粒が降り彼の指に神が宿って音を放っているようにも見えるのは、少々彼のことを特別視している私のフィルターがかかりすぎているだろうか。

幼少期の彼にとってのピアノは、ご両親からの“期待”の象徴であると思う。一緒にするのはおこがましいけれど、私も彼と同じように週7日それぞれ別の習い事に通う幼少期を過ごした。親からの重圧や親が望んでいる子どもとしての“わたし”と現状の私の乖離に悩み、小学生の頃にはもう競争社会に放り込まれていた私にとって櫻井翔さんは希望で、救済で、「私がなれなかったわたし」をどこかで彼に投影していたのかもしれない。私はこれまで親の期待に沿うわたしでありたくて大きく道を逸れないように、逸れないようにとこれまで生きてきて、別にそれを悔いているわけでは全くないけれどもし彼と同じように親が難色を示していたとしても茨の道を選ぶ勇気とそれを貫き説得力を持つための努力をする意志があったなら、また違う人生があったのではないかと思うのだ。
だから一層のこと、彼がピアノを弾く姿は私の心を揺さぶる。私にも違う人生があったかもしれないのと同様に、彼にもこの「博打」(本人談)の人生以外の選択肢だって私以上にあったはずだ。そんな彼が、ピアノを後ろから支えるように佇んで煌めくあの4人と、彼らを見守るファンと共に船を漕ぐ道を21年選択してきたことの重み。自分の身体よりもずっとずっと大きなピアノを弾いていた少年と、かけがえのない仲間と出会い立派な社会人となってキャリアを積んで紅白の司会をひとりで務め上げるほどに大きくなって東京ドームのステージで「親への餞」とピアノを弾く今この瞬間の彼の姿とがスクリーン上で重なることでまたそれに気付かされる。
ご両親がかつて期待していたであろう彼の将来と彼が選んだ道は相反していたはずなのに、こうして東京ドームでご両親からの“期待”を象徴するピアノを弾くことで「親への餞」を叶えてしまう櫻井翔さんには畏敬の念を抱くばかりだ。

〈明日を眩しいくらいに うまく描こうとして〉
自分のソロパートなのだから、ここぞとばかりに見せ場としても良いはずなのに。彼は客席に合唱を呼びかけて、「伴奏しますので」と微笑む。55000人の大合唱の伴奏ができる人なんて、一体日本に何人いるのだろう。客席の私たちも演出に巻き込むことで、彼と、4人の仲間と、数え切れないほどのファンという2019年(当時)の彼のすべてと成長の証を表す曲になった5×20の「アオゾラペダル」を私は一生忘れられないと思う。忘れる気なんてないけれど。

(文中〈〉は嵐「アオゾラペダル」より引用)

おとなになってしまったあなたへ Hey! Say! JUMP 「Your Song」───等身大の幻想が救済してくれるもの

以下の文章は、2020年10月2日付で音楽文 (https://ongakubun.com/) に寄稿したものです。当サイトのサービス終了に伴い、こちらに転記します。

いつから、私は夢を抱かなくなったのだろう。

Hey! Say! JUMPの新譜、Your Songを聞きながらそんなことを考えていた。
小5の秋、中学受験の勉強に勤しんでいた私は父親に「将来の展望となぜ中学受験をしたいのか、どういう理由でどの学校を目指すのかきちんと自分の考えをまとめて一週間後に説明しろ」と言われた。そのとき、「計画性と具体性と実現性のない夢はただの妄想だ。妄想を語るような恥ずかしい人間にはなるな、先の質問に対して将来の夢みたいなくだらないことを語るのはもってのほかだからな」と釘を刺されたことはずっと忘れられない。当時の心情は今ほとんど覚えていないけれど、この日を境に私は学校などで将来の夢を聞かれると「わかりません」「まだ決まっていません」と答えるようになった。19歳の今も、夢なんて、ない。もう何が夢かさえずっとずっと、わかっていない。
プランのない夢は持ってはいけないもの、それは妄想だと言われて育った私は、実現が難しそうな夢を抱く人に対して羨望の眼差しを向けると同時に心のどこかで不信感や軽蔑に近い感情を抱いているのかもしれない。彼が言ったことは正論ではあるけれど小学生の私の面前で将来の夢という概念を全否定した父親のような人間には絶対になりたくない、だから私は親にはならないとずっと思っているけれど親にならずとも私の中にはきっともう無意識下ながらに父親の思想が少なからず滲んでいるのかと思うと悲しくなる。話が逸れた。
〈どんな未来が待っていても構わず僕らは夢を語ろう〉
涙が出た。夢を持たない方が堅実で、堅実であることこそが正しいのだとずっと思っていた。良く言えばそれは現実を見ているのかもしれないけれど悪く言えばそれはある種の防衛で、逃げだ。そんな私の生き方でさえ、Your Songは否定しない。これは、〈逃げることが上手くなったり 言い訳が癖になったり〉している“あなた”への歌だ。夢を持つことは素晴らしいことだ、と子どもの頃は思っていてもそれぞれの人生で挫折を味わい社会に揉まれて〈溢れるため息に慣れ〉、〈言葉にならない 言い訳〉を飲み込む毎日の中でいつしかそれを忘れてしまった、忘れざるを得なかった“あなた”に贈るひとつの物語だ。

澱んだ色をした心に鮮やかな絵の具を塗ってくれるような応援歌は数多いけれど、Your Songはそうではなくて、明るい気持ちになれない“あなた”のありのままをまるっと肯定してくれるような曲だ。自分の心というキャンバスに暗い色が落とされくすんでしまったとき、無理にその上から明るい色を塗り広げずとも“グレーなときがあったって良いじゃないか”と誰かに声をかけてもらえるだけで私たち人間は少し前を向けるのではないだろうか。〈上手くいかないや〉と、アイドルが歌う楽曲としては珍しいほどネガティブな歌い出しから始まり、時には間違うことがあってもまた歩き出せば良いとそっと背中を押してくれるYour Songは、どこまでも等身大の応援歌だ。
一方、本作のMVとショートフィルム(Your Songの初回限定盤2に付属しているユーザーコードを読み取ると視聴できるオリジナルドラマ)に登場するような幼馴染の仲間がいることも、いたとしてもあんなに美しい約束をしていることも、登場人物たちのように夢を叶えた人ばかりだということも、現実世界では有り得ないというと言い過ぎかもしれないけれど起こりにくい。ストーリーは歌詞と同様に等身大でありながらも、どこか綺麗事に感じる人もいるかもしれない。でもこのMVやショートフィルムを見ていて涙が溢れるのはきっと、私がどこかに置いてきてしまった“無邪気に夢を語る子どもの瞳のような煌めき”をぎゅっとガラス玉に閉じ込めたような彼らの姿が心を震わせるからだと思う。彼らを演じる“中の人”は20代後半〜30代の既に酸いも甘いも味わっている大人であり、Your Songの映像作品はフィクションである以上それはやはり幻想なのだと思うけれど幻想にしか救えないものだってあるはずだ。
私はYour Songという、Hey! Say! JUMPという等身大の幻想を見て聴いたことで、もう少し「夢」という概念に対して寛容になっても良いのかもしれないと思わせてもらえた。積年の呪いを解かれたような気持ちだ。世の中は〈確かなものばかり〉ではないし、〈どんな未来が待って〉いるかなんて誰にもわからないのだから。
 
(文中〈〉内は、Hey! Say! JUMP「Your Song」より引用)

暗澹たるラブソング~Hey! Say! JUMP「モノローグ」の歌詞が深すぎる

皆さま、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。

11月24日発売のHey! Say! JUMPの新曲「Sing-along」のカップリング「モノローグ」が、初聴の時点から「これはエグイ曲だ、、」という確信を持ったのでいつもの通り(?)解釈をしてみました。毎度のことながらこれは私という1オタクの1解釈であり、この解釈が正解なわけでも、読まれた皆さまが初めてこの曲を聴いた際に感じられたものを否定するわけでも一切ございません。...と、前置きはここまでにして早速本題に。

私はこの曲を初めて聴いた際に引っかかったのは、この歌詞には「あなた」「君」「僕」と3つの2人称が使われていること。そして、それを基に歌詞を読んでいくと、どうやら一人称「僕」を名乗る人物は曲中に2人いるらしい(でないと辻褄が合わない)ということ。

一人称「僕」を使用する女性や、その他さまざまな性自認の方の可能性もありますが、便宜上ここでは一人称「僕」を使用しているのは以下「男A」「男B」としています。

何もしたくないような平日は

あなたと踊る夢を見るわ

「つまらない」と

笑って一人で雨に濡れるのも悪くない

ここは男Aのモノローグ。「あなた」=男B の夢を見るなんて「つまらない」と自嘲的に笑う男A。ちなみに、「何もしたくない」は後ほど重要なキーになっていきます。

悲しみ そっと目を向け

君の前では笑ってる振りをして

やめて欲しい言葉うざい

君の全てに溺れ酔いしれた

ここは男Bのモノローグ。「君」=男A への想いを隠している男B。「やめて欲しい言葉うざい」はやや口が悪そうな男Aの言葉(そこさえも好きになっている)なのか、同性どうしの恋愛に向けられる冷たい言葉や視線に対する男Bの心内語なのか。

涙をそっと数えた

あの星空のことも忘れたの

すれ違いだって離さない

わかっていた もうわかっていたでしょ

男Bから男Aへの片想いと思いきや男Aも男Bのことが好きだったのか。「涙をそっと数えた あの星空のことも忘れた」と強がり、運命はすれ違いから離してくれず、「わかっていた もうわかっていたでしょ」と自分に言い聞かせている。男Bは他に恋人を作ってしまったのだろうか。

ねえねえ君はもっと

僕の傍に来てずっと

話をしていたいの

もっと近寄って もっと近寄って

「友人」として至近距離で仲良くしながら(戯れながら?)、心に秘めた想いを抱える男B。男Bのほうが男Aに向ける矢印が強いのかと思っていたけど、男Aのモノローグと比べると男Bの抱える想いのほうが純粋で無邪気な印象を受ける。

「つまらない」と嘆いてたのに

どこかに行かれると困るしで

あなたのこと わかってあげられなかった

全部僕のせい...

ここで時間軸がはっきりわかってきた。

最初の男Aのモノローグは「過去」。男Bのモノローグはどれも「過去」。男Aのふたつ目以降のモノローグは「現在」。

男Aは、過去に男Bが抱えていた(もしかしたら告白もされたのかもしれない)想いを「わかってあげられなかった」。男Bの夢を見るほど平日いつも一緒に過ごしているなんて、男女交際を伴うきらきらとした学生生活と比べてなんと男くさくて「つまらない」と笑っていたのに、いざ「どこかに行かれると」困って、「全部僕のせい」と自分を責めている。学生と断定したのはAメロの「平日」と、男Aと男Bとの関係性に垣間見える青さから。私は最初これは男Bが他に恋人を作ってしまったのかと思っていたけど、もしかしたら死別なのかもしれない。それも、病気や事故ではない、死別。

すると、ここまでの男Aのモノローグの意味ががらっと変わってくる。

「涙をそっと数えたあの星空」はひとりで泣いていたのではなくふたりで星空を前に泣いていたとき(泣いていたのはふたりなのか、泣く男Bに男Aが寄り添っていたのかはわからないけど)の思い出を振り返っていて、あの星空での出来事を忘れたのか、その頃からもう男Bの想いには気付いていたんじゃないかとまた自らを責めている(「わかっていた もうわかっていたでしょ」)。

その次のブロック「言いたいことも言えなくて」~「目が合うと逸らすの」は男Bのモノローグ。もちろんここも過去。男Bのモノローグはすべて過去。

綺麗な靴をあげよう

期待外れの言葉も捨てちゃって

二人きりで逃げよう

辛いことも忘れ永遠を願おう?

ここは男Aのモノローグ。「綺麗な靴をあげよう」。同性の友達の誕生日プレゼントにスニーカーをあげる男子といった例を浮かべるとごく自然だろう。「おまえいつも汚い靴履いてんな、今度の誕生日に綺麗な靴やるよ」そんなやり取りをしたのかもしれない。

ところが、靴はずっと一緒にいたいと思っている好きな人や恋人には贈らないほうが良いとされている。なぜか。靴を贈ることには「私を置いて去って」「私の元から去って」という意味があるからだ。男Aは、過去自分が軽い気持ちで発した「綺麗な靴をあげよう」という言葉は「あなた」にとっては「期待外れ」、傷つけただろうなと振り返って思って、「捨てちゃって」=その言葉を取り消して、「二人きりで逃げよう」と時を経て言い換えている。もう動かない男Bを前に、「二人きりで逃げよう 辛いことも忘れ永遠を願おう?」と語りかけている。後追いしようとしているのだろうか。

「何もしたくない」「変わりたくない」

「何もしたくない」「関わりたくない」

「何もしたくない」「代わりはいらない」

「何もしたくない」「傍にいたいよ」

「何もしたくない」とそれに隠された意味が繰り返されるこの部分。「何もしたくないような平日」にふたりがそれぞれ何を思っていたのかが明かされる。

男Bの「変わりたくない」と男Aの「関わりたくない」は建前(嘘)。関係性が変わるのが怖くて「変わりたくない」と呟いた男Bの本心は「(Aの)代わりはいらない」=男Aだけを愛している。男Bからの好意に薄々気が付きながらも「関わりたくない」と無視していた男Aの本心は「傍にいたいよ」。そしてここで注目したいのは、すべてソロパートでの掛け合いだったにも関わらず最後の「傍にいたいよ」だけユニゾン(おそらく2人?)なのだ。つまりこれは、男Aと男Bのふたりともが持つ本音だったのではないか。それを踏まえて聴く「傍にいたいよ」は、あまりに痛ましい魂の叫びに聞こえる。

「どうして?」

動かなくなった男Bを最初に目にしたときの男Aの一言なのか。それとも、男Bの死から幾らか経った後に過去を振り返って呟いた一言なのか。

ねえ!

やはり、目を覚ましてほしいと願ったときの一言か。

「ねえねえ君はもっと~もっと近寄って」までは男Bのモノローグ、「つまらないと~」以降は男Aのモノローグというのは先の通り。ただ、最後、これまでの男Aのモノローグとは違う点がある。

全部「僕のせい?」

1番のサビでは「全部僕のせい」で男Bが命を絶ったという自責だったけれど、ここでは「僕のせい」だけがセリフを意味する鍵括弧がつき、疑問符で〆られている。男Aが今更「本当に自分のせいで死んだのかな?」と疑問を抱きはじめたとは考えにくいので、ここは男Bの言葉を男Aが回想しているのだと解釈した。それが男Bの最期の言葉だったのか、そうではないシーンでの言葉なのかはわからないが、その言葉が男Aの脳裏にずっとこびりついているのだろう。

 

いや本当に後味が悪い。だがしかしオタクのありとあらゆる癖(ヘキ)をぶっさしてくる名曲、、

これはふたりの男性とひとりの女性の三角関係で、男Bと想いが通じながらも男Aと結婚した女性を男Bが連れ去る話なんじゃないかとかいう仮定もして考えてみたんですが、どうにも辻褄が合わないというか、しっくり来なくて。その点今回紹介した解釈だとラブストーリーでありながら(過去の)男Bから男Aへの想いも、(現在の)男Aから死んでしまった男Bへの想いもどちらも一方通行で「モノローグ」だなあと感じて筆を起こしました。ただ、言葉遣いが少し女性的(っていう言葉いまどき嫌だなあ、、「たをやめぶり」って言えばいいかな?笑)なのもあって男女の話とも捉えることができるのが巧いし、こう解釈するとあまりに悲しい話だから一種のオブラートに包んでいるともいえるのかなと。

いろいろ書きかけのネタがあるにもかかわらずすべてすっ飛ばして勢いで当エントリを書いてしまうくらいには、初聴のときからビビっときて、噛めば噛むほど味が出る名曲でした。どうか、どうか、どうか、

セトリ入りしますように!!!